Otonami Story

2023.11.21

生産者と消費者の架け橋に。「発酵でつなぐ、しあわせ」を届けたい。

Interviewee

ハッピー太郎醸造所 醸造家・発酵アドバイザー 池島幸太郎さん

米どころであり、郷土料理の鮒寿司などの発酵文化が根付く滋賀県。霊山・伊吹山のふもとに広がる長浜市の「湖のスコーレ」で、「ハッピー太郎醸造所」を主宰する池島幸太郎さん。地元産のお米や様々な菌を使い分けて造る糀やどぶろく、甘酒、味噌などは、料理研究家をはじめ健康に関心の高い人々に愛用されています。

特に注目を集めているのは、従来の概念を覆すような斬新などぶろく。副原料をかけ合わせ、軽やかな飲み口ながら独創的な味わいに仕上げています。「糀もどぶろくも、そのまま味わいたい農産物のようなもの。そのシンプルなおいしさと真面目にものづくりに取り組んでいる生産者のことを伝えたい」と池島さん。

自身を生産者と消費者の架け橋ととらえ、発酵食品によって大勢の人に“しあわせ”をもたらすため日々奮闘。これまでの人生や醸造家としての目標、そして発酵の魅力を伝えるために啓蒙活動を行う「話せる発酵屋」としての想いなど、池島さんの“story”に迫ります。

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郷土の豊かな味と恵まれた環境で育まれた食への興味

滋賀で育った池島さん。もともと家系のルーツは九州にあり、父親が宮崎県出身で、祖母は九州地方でなじみ深い麦味噌づくりの名人でした。そのため、祖父母から送られてくる麦味噌や漬物を食べて育ち、味覚の土台がつくられたと池島さんはいいます。山菜好きの両親と共に小さい頃からワラビを採りに山へ行ったり、キャンプに出かけて大自然の中で食べたり、自然の中での食体験を重ねていました。「今でいう“食育”を受けていたようなものですね。こうした家庭環境が、今のどぶろく造りにつながっているように思います」。

九州の食文化の影響を受けて育ち、糀造りの名人である祖母のDNAを引き継いだ

子どもの頃から音楽に親しみ、京都大学時代は交響楽団でトランペットの演奏に明け暮れていた池島さん。食の仕事に携わることになったきっかけは、トランペットの師匠が連れていってくれた蕎麦と日本酒がおいしい店。独学でその道を極めた蕎麦屋の大将に会い、大人の世界を知った池島さんは、「本気の大人の姿に憧れると共に、日本酒のおいしさに驚き心惹かれました」といいます。

どぶろく造りの原点となったのは、子ども時代の食体験と学生時代に出会った店

昔ながらの酒造りと米づくりを島根で経験

大学を留年し、将来を決めかねていた池島さん。ある時、テレビで見た酒蔵の杜氏の仕事に衝撃を受け、「これだ」と思いました。直感に駆り立てられるように日本酒造りを目指し、島根県の旧弥栄(やさか)村へ行くことに。穀物や野菜をつくっている有機農業法人にアルバイトとして入り、夏は農業や味噌の加工を手伝いました。そして冬は隣町の「日本海酒造」で働くことになりました。

杉板を贅沢に使ったハッピー太郎醸造所の糀室。日本海酒造時代もずっと糀室で過ごしていた

1年目から糀づくりを担当。「大吟醸の糀を扱わせてもらい、緻密な糀づくりの基本を学ぶことができました」。また、日本海酒造は但馬杜氏を採用している蔵元。昔ながらのクラシックな酒造りを間近で見たことも貴重な経験になったそうです。「地元の農村のお米で地酒を造っていて、お酒を中心にコミュニティが育っていました。そのつながりも豊かだと感じました」。

酒造りを中心としたコミュニティは、造り酒屋が隆盛した鎌倉時代以来の長い歴史がある

厳しさとおおらかさを学んだ滋賀の修業時代

滋賀に戻り、池島さんは蔵人としてさらに経験を積みます。蔵元が自ら酒造りを行う長浜の「冨田酒造」で、社員蔵人としてはじめて採用されました。冨田酒造は、低迷する日本酒業界を変えていこうという気概を持って酒造りに取り組んでおり、米のトレーサビリティ(食品の調達から生産、消費まで追跡可能な状態にすること)や酒粕のロット設定に至るまで細かな管理が行われていたとか。池島さんは蔵元の高い要求を乗り越えるなかで、酒造りの仕事の厳しさやブランディングなど多くのことを学びました。

サーマルタンクをチェックする池島さん。蔵人として12年のキャリアを積んだ

次に入ったのは豊郷(とよさと)町の「岡村本家」。こちらは杜氏が現場を仕切る酒造で、杜氏のユニークな人間性と酒を愛する姿勢が印象的だったそう。「夜の23時から歌いながら米を洗い始めるような人で、いつも楽しそうなんです。この人にはかなわないと思いました。完成したお酒を利き酒するとき、普通は改善点を言い合うものなのですが、この杜氏さんは毎回『いいよね』と。お酒を愛し、決して否定しない。それは人に対しても同じで『ええんちゃう』とおおらかに受け入れる姿勢が魅力的でした」。

糀造りに欠かせない、蒸米を広げて冷ます製糀 (せいきく)の作業も自ら行う

岡村本家では、オリジナルレシピの純米酒「金亀桜」をプライベートブランド商品として出荷する貴重な経験もしました。好評を得た「金亀桜」は、オーストリアのウィーンへ輸出。レシピを自分で考えるところから出荷まで関わった経験は、池島さんの糧となりました。

生産者の想いを表現できる醸造家に

ハッピー太郎醸造所を起業したのは2017年。独立を決意した理由のひとつに、日本海酒造時代に肌で体験した農家などの生産者の苦労がありました。生産現場の実情を消費者や販売店に理解してもらうためには、背景などストーリーにのせる必要性を感じたといいます。「世間では“発酵ブーム”が始まっていましたが、糀を専門に扱う店は少なくなり、糀づくりに使われた米の生産者に触れる記事も見かけませんでした。自ら情報を発信している糀専門店がなく、そこに需要があるのではと思い至りました」。

フレッシュハーブなどを醪(もろみ)に漬け込み醸す、個性的などぶろくを製造

学生の頃からブログで発信したり、交響楽団では代表を務めたりしていた池島さんは、「伝えること」が何より得意であり、重要視もしています。「私が他の人より秀でている点は、相手の様子を見て臨機応変に話せるところ。子守歌の代わりにヴィヴァルディの『四季』を聞いて育ったので、“耳をすまして聞く”ことが身に染み付いているんです」。

人とコミュニケーションを取ることが得意な池島さん

目の前で起こっていることや相手が伝えたいことを感じ取る能力が高く、誠実に仕事に取り組む生産者について伝えようとする熱意も併せ持つ池島さん。そのため、糀やどぶろくを造る事業のかたわら、ワークショップやイベント講演、アドバイザーなどの「話せる発酵屋」としての啓蒙活動もライフワークとして行っています。

どぶろくや糀の文化を「湖のスコーレ」から発信

2021年12月にオープンした長浜の「湖(うみ)のスコーレ」。琵琶湖を抱える滋賀の暮らしの知恵や文化、産物に触れることができる、発酵をテーマとした体験型の商業文化施設です。「ここでどぶろくを造りませんか?」という話が舞い込んだとき、酒造りが長年の夢だった池島さんはすぐに快諾しました。試行錯誤の末、製造免許(その他の醸造酒)を取得し、地元農家の米を使って2022年4月に初のどぶろくが完成。

発酵をテーマとした体験型施設の「湖のスコーレ」

池島さんいわく「日本酒は濾した後の液体がおいしい飲み物ですが、どぶろくや甘酒、味噌などは濾さずに丸ごとおいしくいただくもの。農作物のようにそのまま味わえることが必要なんです」。どぶろくはひっそりと造られてきた歴史があり、「市民権を得ていない」と池島さんは感じています。そんな状況を覆すには、その土地や現代の生活を踏まえたうえで、人々の心にしっくりとなじむものを造らねばなりません。

湖のスコーレの中にある、開放的な中庭を眺めながら過ごせるカフェ

さらに生産者と消費者の間に立ち、製造法や原料の米、糀菌の種類など細部に至るまで、発酵や醸造に関する情報を公開し、積極的に発信すること。どぶろくや糀の文化を広く伝え、発酵文化の豊かな未来を切り開いていくこと。池島さんはそれが自らの使命だと考えています。そのために「発酵でつなぐ、しあわせ」をテーマに掲げ、湖のスコーレの醸造室を拠点としながら、滋賀・長浜に根付いて醸造家、発酵アドバイザーとしてプロフェッショナルの仕事を日々積み重ねていきます。

ハッピー太郎醸造所

3つの蔵で修業した醸造家、“ハッピー太郎”こと池島幸太郎氏の経験を活かし、2017年に滋賀県彦根市で開業。2021年12月、長浜市の商業文化施設「湖のスコーレ」に移転。地元生産者が栽培したお米を使い、池島氏が糀室で手づくりした完熟糀から、味噌や甘酒、どぶろくなどを醸造。池島氏は“話せる発酵屋”としてイベントなどで啓蒙活動にも取り組んでいる。どぶろくとこれまでにない食材を組み合わせた「something happy」 シリーズをはじめ、新ジャンルのお酒も精力的に開発。

MAP

滋賀県長浜市元浜町13-29

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