Otonami Story

2025.4.28

糸と針で無限に広がる世界。日本刺繍で個性を活かし命を彩る

Interviewee

彩葉針主宰 日本刺繍作家 田中京子さん

絹糸を撚るところからはじまり、数千、数万回に及ぶ針仕事で浮き出すような立体感と煌めきを創出する「日本刺繡」。およそ1400年前に仏教と共に伝来したといわれ、安土・桃山時代頃から武家や町人の着物や小物などを彩るようになり、一気に広がった日本の伝統工芸です。

「日本刺繡の最大の魅力は、糸と針だけで世界が無限に広がるところ」。そう語るのは、この道40年の日本刺繍作家・田中京子さん。卓越した技術、独特の配色に定評がある、日本屈指の作家のひとりです。

古典柄だけではなく、キノコや昆虫といった独自の絵柄や、洋服などへの装飾にも挑戦。自由な発想で精力的に創作に励みつつ、日本刺繍の楽しさを伝えたいと教室も構え、後進の育成にも尽力しています。

「学生時代は落ちこぼれで、褒められたことがなかったんです」と田中さん。心折れず、一針一針に思いを込めて、創作を謳歌するまでの物語を紐解きます。

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悠久の歴史きらめく日本独自の刺繍技法を今に

神奈川県・金沢文庫を拠点に、「彩葉針」を主宰する日本刺繡作家の田中京子さん。ブランド名は、“針と糸で生地というキャンバスを彩りたい”という思いが込められています。

悠久の時を超えて継承されてきた伝統工芸「日本刺繍」に魅せられ、様々な技法を習得。草花木果などの絢爛華麗な模様から、愛らしい動植物やキノコ、昆虫をモチーフとした創作にも挑戦しています。独自の発想力を活かし、針を刺しながら決めていく色彩展開は躍動的で、作品に新たな命を吹き込んでいくようです。

艶やかな絹糸と繊細な手仕事による日本刺繡は見る角度によって様々な輝きを見せる

飛鳥時代に伝来し、繡仏(しゅうぶつ)と呼ばれる仏像などの装飾として、職人たちが独自の技法を育んできた日本刺繍。主に絹糸を用いて、糸の太さやゆるみを計算し自ら撚ることで、機械を使った刺繍では生み出せない独自の光沢や表現を魅せることができます。また、赤色だけで20種以上もあり、金糸や銀糸を使うことも多く豊かな色彩が特徴です。

日本刺繍に用いられる美しい絹糸

華麗な作品が完成するまでには、糸の色・撚る加減・刺し方の技法など、ひとつの図柄を刺繍するだけでも何十、何百通りの組み合わせがあるのだそう。どの組み合わせを用いるかを考え、1ミリ単位のズレも許されないほど緻密に刺していく、とてつもなく根気のいる作業の連続です。

日本刺繍では珍しいキノコをモチーフとした田中さんの作品。鮮やかな色彩が美しい

刺繡の表面がまるで波がうっているかのような仕上がりに、「大変だけれど好きな工程です。美しい織物のようにも見えるんです」と田中さんは目を輝かせます。

学びと修行を経て刺繍作家の道へ

田中さんが日本刺繡と出会ったのは、両親の強い勧めで入学した女子美術短期大学の服飾科刺繡教室でのこと。「当時はまだ、良妻賢母の風潮が強い時代でした。本当は考古学専攻を希望したのですが、反対されてしまったんです。でも、洋裁や編み物が得意な母の影響で刺繍は身近にありましたし、絵を描くことも好きだったので、美大の服飾科に入学しました」。

以前から興味があった美術史、刺繡の歴史や文化を学ぶなかで、どんどん日本刺繍に惹かれていったという田中さん。進学した専攻科を卒業後、友人の紹介で鎌倉在住の「伝統工芸展」所属の作家に師事します。そこで6年間の修業を積み、より実践的な技術を習得しました。

伝統工芸師である師匠のもと、希望する図案を自由に制作できたことが今の創作スタイルにつながっているという

修行期間を終えた1993年に、ひとりの作家として独立。その後、家庭を持ち母として子育てをしながら200以上の展覧会や個展に出展し、累計2000点以上の作品を手がけてきました。田中さんならではの自由な発想と確かな技術が国内外で高い評価を得る一方、お子さんが幼い時は制作に集中できずに悩み、何度も辞めようと思ったことがあったのだそう。

しかし、刺繍ができる環境があると落ち着くという田中さんは、細々と活動を続けていました。転機は2014年。「筥迫(はこせこ)」と呼ばれる日本古来の伝統的な装飾品と出会い魅了されたことをきっかけに、さらに創作活動へ情熱を注ぐことになります。

田中さんが2017年に制作した華やかな梅文様の筥迫

筥迫とは、江戸時代に武家の女性たちが化粧道具や懐紙、御守などを入れて懐中に忍ばせて持ち歩いていた小物入れのこと。錦の艶やかな布や豪華な刺繍が施してあるものなど、贅を尽くした華やかな筥迫は、持ち主の地位を示すアクセサリーでもありました。

「今でいう化粧ポーチのような美しい装飾の施された筥迫を、着物の懐からちらりとのぞかせる。なんだか、日本女性の美意識の象徴のような気がして素敵だと思いませんか」とほほえむ田中さん。もちろん日本刺繡とも相性は抜群。雅で粋な筥迫の復刻と振興に尽力し、田中さんらしい大胆なデザインと繊細な刺繍で飾った唯一無二の筥迫を制作。フランス・パリの作品展に出展し、多くの感動を与え称賛を受けました。

教える側も“世界が広がる”刺繍教室

筥迫づくりと同時期に、「自分が持っている技術を活かしてもっと多くの人に貢献したい」とレッスンをスタートした田中さん。現在は、銀座・日本橋・葉山に教室を構え、Otonamiでも刺繍体験を提供しています。

田中さんが醸し出す明るくほがらかな雰囲気と、一人ひとりの個性や技術、思いに寄り添った指導が魅力のレッスンは、リピーターも多く大人気。これまで1500人以上に刺繡の技術と魅力、創作の喜びを伝えてきました。フランスやオーストラリアといった外国の方の受講も増えたといいます。「手の使い方、指の動かし方など正しく覚えておかなければいけないことはきちんと伝えますが、まずは“楽しく、自由に”。日本刺繡の世界と、創作の喜びを知って楽しんでもらいたいです」。

笑顔があふれる田中さんのレッスン

刺繍教室での様々な出会いを通して視野が広がり、自分自身のブラッシュアップにもつながっているという田中さん。「はじめたばかりだからこその斬新なアイデアや配色にハッとさせられたり、工程の説明の時に『それは○○ということですか』などとわかりやすい表現に言い換えてくださったり」。生徒さんや参加される方からの学びや気付きも多いといいます。

伝統産業や日本の文化への思い

現在、田中さんは日本刺繍の作家や指導者としてだけにとどまらず、伝統工芸の伝道師としても活動。2000年頃に依頼されたジーンズのポケットへの刺繍を機に、Tシャツやブラウスなどの洋服に、日本刺繍の技術を活用して彩ることに挑戦しています。「洋服などの身近なものに刺繍することで、日本刺繍に興味を持ってもらえたら嬉しいと思いはじめました。刺繡を施すことで、洋服の表情が変わっておもしろいですよ」と田中さん。今後、デザイナーと協力してファッションショーを計画しているのだそう。

日本刺繍の技法を用いて洋服を装飾した作品

また、日本刺繡を通して国産材料の質の良さを伝え、振興の一助を担っていきたいと考えている田中さん。例えば糸や針ひとつとっても、日本の手仕事や伝統産業は本当にすばらしいと語ります。しかし養蚕業者をはじめ継承者は激減し、存続の危機にあるといいます。「これから、絹糸は国産にこだわって使いたいと思っています。海外産の質も悪くはないですし、クオリティも上がってきていますが、やはり国産は艶と光沢がまったく違います」。

絹糸の質は作品の仕上がりに大きな影響を与える

日本刺繍作家としての志を胸に世界へ

幼少の頃から、自分がやりたいと思ったことを反対されることが多かったという田中さん。褒められることもあまりなかったそうですが、心折れずに日本刺繡の道を貫き、創作に向き合い続ける姿には強い志を感じます。

「人と比べないことが大切ですね。他の作家さんの作品を観て感動したり、刺激を受けたりすることは良いですが、自分を卑下することはない。自分にしか出せないものに目を向けて、自分の意思を貫くことに時間を費やした方が良いと思います」。田中さんは自分の経験をもとに、指導する場においては生徒さんの個性や思いをいちばんに考え、自由に創作を楽しんでほしいといいます。

一刺し一刺し、思いの赴くままに。今後は大きな作品に挑みたいという田中さん

田中さんの作品には、日本刺繡のモチーフにはあまり用いられないキノコや動物、アリなどが多く登場します。小さな命を艶やかな糸で、一刺し、一刺し彩っていくあたたかなまなざしがそこにはあります。そして2025年、仏像を刺繡で表現した作品がフランスで展示されることが決まったのだそう。色とりどりの糸と想像を広げる針を手に世界に羽ばたく田中さんの物語は、輝きを放ちながらこれからも続きます。

日本古来の伝統美を現代に。そして世界に広げる活動は続く

彩葉針

日本刺繍作家・田中京子氏による日本刺繍教室。作家として数多くの作品を制作し、200以上の展覧会、展示会などに出展。オリジナルブランド「Voler Blanc」を主宰するとともに、20年以上にわたり日本刺繍教室を開催。女子美術短期大学で学んだ刺繍の基礎をベースに伝統を踏まえつつ、色彩の世界を独創的な感性で豊かに捉え直し、日本刺繍の新しい世界を追求し続けている。

MAP

なし

Special plan