Otonami Story

2024.3.14

心の赴くままに“今のわたし”を織る。「さをり織り」の可能性と魅力を伝え続けて。

Interviewee

手織工房じょうた 主宰 城達也さん

吉祥寺駅から井の頭恩賜公園を通り抜けた少し先、鳥のさえずりが軽やかに響く玉川上水沿いに現れる、白壁が美しい一軒家。この場所で、祖母・城みさをさんが生み出した手織りの手法・さをり織りの工房「手織工房じょうた」を主宰するのが、城達也さんです。

さをり織りは、性別、年齢、文化や国籍を超えて、誰でも簡単に個々の感性を自由に羽ばたかせて織ることができるのが大きな特長。今では国内外で多くの人に愛されています。

その手法もさることながら、一人ひとりの“好き”と“心地良さ”を追求するさをり織りの考え方に強く惹かれた城さん。一度は一般企業に勤めながらも退職し、さをり織りの織り手・伝え手として歩んでいくことを決意しました。

見えない糸に導かれるように、さをり織りを伝える人へ……。そんな城さんの今までとこれからを紐解く“story”です。

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祖母から聞く、さをり織りの話に魅了された少年時代

城さんの祖母・城みさをさんが、誰でも自由に表現できる手織りの手法・さをり織りを生み出したのは、1969(昭和44)年のこと。経糸(たていと)が1本抜けただけで“傷もの”とされてきた織物の常識を飛び超え、あえて規則正しさや均一さから離れ、自身の感性に従って織った1枚のショール。そのショールを持ち込んだ大阪の老舗呉服店に評価されたことが、さをり織り誕生のきっかけでした。

緑に囲まれた吉祥寺工房。城みさをさんの絵や言葉が飾られている

「祖母は話すことがとても好きな人でした。さをり織りについて時には何時間も話をしてくれて、僕たち兄弟も熱心に耳を傾けたものです」と、城さんはみさをさんとの思い出をにこやかに振り返ります。

さをり織りの普及に取り組み、世界50ヶ国以上の人々に広めてきた祖母の情熱と想いを受け継ぐ

その後、高校生だった城さんにとって忘れられない出来事との出会いが訪れます。誰にでも織れる特性を生かし、みさをさんは障害者にもさをり織りの指導を行っていました。その縁で、障害者の文化芸術活動の可能性を広げる芸術祭を訪れたときのこと。当時通っていた学校では、障害者と直接触れ合う機会がなかったという城さん。その芸術祭で目の当たりにした、さをり織りをはじめとした障害者が手がけたアートの数々と、彼らの生き生きとしたエネルギーに圧倒されたそうです。

障害の有無に関係なく、織る人の個性や感性を存分に表現できるさをり織り

「さをり織りを通じて、障害者の方への偏見や差別はなくせるんじゃないかと、その時思ったんです」。その出来事をきっかけに「いつか、さをり織りを仕事にしたい」と漠然とした想いが芽生えた城さんは、さをり織りと共に歩む未来を見据え、教育学を学ぶという進路を選びました。

社員寮の自室で手織りに打ち込む日常

大阪から上京し東京の大学に通いながら、さをり織りのイベントや展示会を積極的に手伝っていた城さん。その後、一度は大手企業に入社します。「実は学生時代から、織機を製作していた父に織機を送ってほしいと再三お願いしていたのですが、送られてきたのがなんと就職後の社員寮暮らしのタイミングでした」と、笑顔で当時のエピソードを話します。決して広くなかった自室に、ベッドと机、そして手織機が置かれた日常。そんな城さんの部屋は社員寮でも話題になり、時には同期の仲間がさをり織りに挑戦しに城さんの部屋を訪れることもあったそうです。

城さんの部屋に送られてきたものと同じ型の手織機は今も現役

織り方はいつの間にか体で覚えていた城さん。しかし、経糸が張られた状態で送られてきた織機で1枚織り上げた時点で、経糸の張り方を知らなかったことに気付きます。そこで、当時代々木にあったさをり織りの教室に仕事終わりに通い始めました。「その教室で、さをり織りがきっかけで広がるコミュニティの素晴らしさや、織ってこそ分かる自分の心の移り変わりなど、本当に多くのことを感じ、学ぶことができました」。

Otonamiの体験では、特別に50cmの幅で好きな長さまで織ることができる

次世代の織り手・伝え手へと人生の舵を切る

会社員として働きながら週に1回教室に通う生活を3年ほど続けたのち、会社を退職した城さん。高校時代に漠然と抱いた、“さをり織りを仕事にする”という想いを現実のものにします。最初は、1年半ほど吉祥寺内のマンションの一室を借りて、さをり織りの工房を主宰しました。その後、広めの1階の物件に移り9年ほど経ち、城さんが現在の本店である吉祥寺工房を建てたのは2018年のこと。吉祥寺を選んだ理由は、通っていた大学から近く土地勘があり好きな場所だったこと、そして素敵なセンスの個人商店が多く、その店を選ぶ人たちが集まる街だからだそう。

井の頭恩賜公園に面し、豊富な自然に囲まれた吉祥寺工房。和やかな笑い声と織機が鳴らす心地良い音が聞こえてくる

そして吉祥寺工房と自由が丘工房に続き、2024年に横浜星川工房をオープンしました。横浜に工房を持とうと考えたきっかけのひとつが、Otonamiの体験者だったと城さんは話します。「横浜方面や、さらに遠方から吉祥寺まで体験に来てくださる方が多かったんです。横浜に工房があれば、遠くて諦めていた人にもさをり織りを体験してもらえるし、“もっとさをり織りを続けたい”と思う人が通いやすいと考えました」。

高い天井が開放的で、窓から明るい光が差し込む横浜星川工房

自分の“好き”と“心地良い”を追求したサステナブルな生活

“少しでも安価に上質な材料を”と考えたみさをさんのアイデアが発端となり、誕生した直後から、コンセプトのひとつとして残糸(ざんし=紡績工場で出る余りで、廃棄される予定の糸)を使うさをり織り。“捨てるものを少なくする意識”は、城さんにもしっかり受け継がれています。「僕自身もカーボンニュートラルを意識し、再利用できるものは積極的に使ってゴミを減らすようにしています」と城さんは話します。

糸を巻いているコーンもしっかり再利用

工房では資源を再利用することで捨てるものをできるだけ減らし、新たな資源を極力使わないように心がけているそう。糸の注文などの発送に使う緩衝材はスタッフや工房に通う人が家で余ったものを持ち寄り、ダンボールを再利用したり、お知らせの紙に裏紙を使用したりしています。吉祥寺工房のウッドデッキや駐輪スペースにも廃材を使用し、城さん自身も施工を手がけました。それらの発想も、さをり織りを通して自分の“好き”と“心地良さ”を追求したからこそ生まれたと城さんは捉えています。

残糸を組み合わせることで世界にひとつの自分らしい色が生まれる

誰もが秘めた“感力”を解き放つ楽しさ。さをり織りを通じて広げたい

「知性より感性の世界の方がずっと広い。そして感性は誰にでもあるものです。夕焼けを見て綺麗だと感じたり、朝焼けの色の変化に心を打たれたり、季節の香りに惹かれたり。そんな誰にでもある“好き”や“幸せを感じる瞬間”を、さをり織りを通して感じることができるんです」心の赴くままに好きな糸を選び、好きに導かれながら織る。そんなさをり織りの果てしない魅力を伝え続けたいと城さんは考えています。

織物には織る人それぞれの感性が宿る

「自分の感性、つまり“感力”は、育つばかりで、衰えない力」。みさをさんが大切にしていたというこの言葉を、城さんもとても大切にしています。性別、年齢、文化や国籍……すべての境界を飛び超える楽しさや可能性に満ちたさをり織り。「誰にでも今の自分にしか織れないものがあります」と城さんは話します。感力を磨きながら、“今のわたし”を織る。手織工房じょうたで、そんな特別な体験をしてみませんか。

青色ひとつとっても、心惹かれる青は人それぞれ。さをり織りは自分の感力を磨く体験

手織工房じょうた

さをり織の創始者・城みさを氏の孫である城達也氏が主宰する手織教室。工房にある糸を何種類でも好きなように使い、自由に手織りを楽しむさをり織の体験ができる。その他、さをり織に使う上質な糸やオリジナルの織機、さをり織の作品の販売も行う。東京に本店である吉祥寺工房と自由が丘工房、神奈川に横浜星川工房がある。

MAP

東京都三鷹市井の頭5-17-29

Special plan