Otonami Story

2023.9.27

人間模様や社会の“絡まり”を書に託して。歪みを飲み込み、時代を記録する。

Interviewee

書家 華雪さん

京都で生まれ、個展やワークショップ、公開制作でのパフォーマンスなど、国内外で精力的に活躍する書家・華雪(かせつ)さん。「女性が一人で書家なんて」とささやかれる、今ほど多様性が尊重されていなかった時代に書家を目指し、既存の文字表現にとどまらない作風で見る人たちの心を揺さぶります。

「書家」と名乗るのは正解なのか、華雪さん自身、時に迷いがあるといいます。華雪さんが生み出す作品は、その時々の人々、あるいは社会の絡まりと向き合い、「一字書」として表現・記録したもの。それは、言い換えれば哲学書や歴史書のような存在です。

平穏とは言い難いこれまでの華雪さんの人生。「だからこそ、自分に表現できるものもある」と語ります。そんな華雪さんの約30年にわたる書家人生の“story”に迫ります。

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書道教室で芽生えた漢字への探究心を胸に、書家の道へ

京都で生まれ育った華雪さん。書との出会いは小学生低学年の頃でした。左利きの矯正のために書道教室へ通うことになった妹さんの付き添いをしていたところ、なりゆきで始めることに。そこで出会った、その後長年師事することとなる書道教室の先生の指導は独創的で、いわゆる「手本を綺麗に書き写す」書道ではなく、「今週あった出来事をひとつの漢字にする」「半年間、自分が選んだ漢字一文字の成り立ちを調べ、書き続ける」といった、漢字に集中して深く向き合うような教えがありました。

書家・華雪さん。書を学んだ経験だけが、書家の道に進んだ理由ではなかった

「先生のもとで書を学んでいると、漢字の起源には自分が知らない“誰か”がいること、その“誰か”が見た景色が漢字の形として記されていることに面白さを感じるようになったんです」と華雪さん。こうした関心は現在も薄れることはないといいます。

華雪さん愛用の漢文学者・白川静氏の「漢字字典」は、幼い日に通った書道教室でも使われていたもの

書道教室に通い続けるなか、書家として生きる決意をしたのは高校生の頃でした。しかし、書道教室の先生を含めた大人たちは猛反対。「女の書家なんて」「偉い先生に弟子入りするべきだ」「流派に属する方が良いのでは」といった言葉で否定されたのだそう。「今思えば、そのくらい厳しいことだと良心でおっしゃっていたのがわかります。でも、その時はものすごく悔しくて。何が何でも書家になると決めました」。

京都という地で目の当たりにした「光」と「影」の記憶

書家になる決意は固まったものの、当時「人間の不可解な感情や行動のメカニズムを知りたい」という興味に駆られていた華雪さんは、立命館大学の文学部哲学科心理学専攻へと進学。しかし途中で、欲していた学びと実際の内容との不一致を感じ、別の分野に心移りするなど、「揺れていた時期だった」といいます。大学で充分に習得できなかった心理学を学び直したのは大人になってから。ワークショップの場において心理学の知見が役立つと気づき、あらためて勉強を再開。その知識は、現在のワークショップでの「場づくり」や「コミュニケーション」に活かされています。

心地良さを感じる場づくりは、心理学を学んだ華雪さんならでは

さらにこの頃、京都という地で目にし、経験したことにも大きな影響を受けます。学生時代から映画や演劇を鑑賞するのが好きだった華雪さん。特にミニシアターや雑居ビルの一室で開催される小さな演劇など、インディペンデントな人たちがつくり出す場に足繫く通っていました。こうした経験は「個」としての活動の後押しとなり、目の前の人に全力で作品を届けようという思いの原点となりました。一方で、日常的に社会にはびこる理不尽な差別を目の当たりにしたことも、同時期の印象的な記憶として語ります。この経験はのちに、「社会の歪みと向き合う」覚悟とも近しい感情を華雪さんに芽生えさせました。

場を見渡し、すべてを飲み込む。「社会の絡まり」を表現すること

大学卒業後は書家としての活動に徐々に専念。個展やワークショップ、さらに20代後半には、華雪さんが「本来の私の姿」と語る公開制作(パフォーマンス)をスタート。公開制作では、コンテンポラリーダンスのような身体表現を交えながらひとつの作品を生み出します。会場内をゆらりゆらりと歩きながら、時に天井を見渡し、時に足を踏み鳴らしたり、座り込んだり……。こうして静かに動いたのち、感情を一気に絞り出すかのように筆を走らせ、一字を書き出します。

華雪さんの作品「花」。同じ漢字でも異なるリズムや息づかいを感じるのが印象的

「パフォーマンスで動き回ったり耳を澄ましたりするのは、その場に漂う空気や、染み付いている記憶みたいなものを感じ取りたいから。物事はひとりの人間が引き起こしているのではなく、同じ時代を生きる人たちや、社会との絡まりがあって起きていると思います。そうした“状況”を含めて表現し、記録として残したいんです」。差別を目の当たりにしたこと、さらに近年は被災地を訪れたことを機に、こうした思いはいっそう強くなりました。「社会の歪みにもっと向き合っていかなければいけない」と、静かに語ります。

他者と空間・時間を共有し「自分らしさ」を見出す

Otonamiでは、華雪さんの手ほどきのもと「一字書」を楽しむ限定プランを開催。アットホームな空間では、「優劣を競うのではなく、他者と自分を純粋に見比べることで見えてくる“自分らしさ”に気づく場にしたい」と、華雪さんは思いを語ります。

ワークショップでは華雪さんから作品へのコメントもあり、さらなる気づきへとつながる

過去に華雪さんのワークショップに参加した方は「旅に出て、帰ってきたみたい」と思いを表現し、その言葉に華雪さん自身も学びがあったといいます。華雪さんの思考や感性に触れて、「自分を探す旅」に似た達成感を味わうひとときから、現代を生きるうえで大切な気づきを得られるはずです。

漢字一文字がもつ「見立てる力」と「解釈の余白」という魅力

華雪さんが貫き続けている「ひとつの漢字で表す」スタイル。その奥深い魅力は「人々の想像力や見立てる力をはらんだ“装置”としての面白さ」、そして「解釈の余白」だと華雪さんは言います。「漢字は、誰かが見た景色を現代まで伝え続けてきた壮大な伝言ゲームです。そこには人々の想像力や見立てる力がなければ成立しません。特に見立てる力の大切さは、幼い頃に書道教室の先生が教えてくれました」。

書を通じて形なき美を模索する

例えば象形は、三日月を表す「月」という漢字を書けば、その一文字だけで三日月も満月も、新月までも表現することができる——。これが「見立てる」ことです。「いかに“美しく”書くかには重きを置いていません。また、私が何かをイメージして一文字を書いたとして、それを誰かが違った解釈で受け取ってもいいんです」。

世界を見据え、画一的な美にとらわれない表現を追求し続ける

漢字の真髄を知り尽くした華雪さんは今、欧米の言語を通じてあらためて自身の書を見つめ直しています。「海外でのワークショップをきっかけに、一字書は“日本的な感覚に基づく表現”だと気がつきました。そこで、日本語とは対照的な文法構造を持っている国、例えば英語圏やフランス語圏から見た時に、私の書の捉え方がどう変わるのか。そこに興味が湧いています」。華雪さんの次なる探究は、すでに始まっているようです。

書家・華雪

京都生まれの書家。立命館大学文学部心理学専攻卒業。1992年より個展を中心に活動。幼い頃に漢文学者・白川静の漢字字典に触れたことで漢字のなりたちや意味に興味を持ち、文字の成り立ちを綿密にリサーチし、現代の事象との交錯を漢字一文字として表現する作品づくりに取り組むほか、文字を使った表現の可能性を探ることを主題に、国内外でワークショップを開催。集英社創業85周年特別企画の題字を揮毫したほか、書家としてロゴや舞台美術なども幅広く手がける。

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なし

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