Otonami Story
2024.7.5
水彩色鉛筆の世界に魅せられて。わが子が導いてくれた画家としての人生。
Interviewee
水彩色鉛筆画家 おかもとゆみさん
淡く、透明感のある色彩が表現でき、使い方によってさまざまな表情を見せてくれる水彩色鉛筆。「画材と出会ったときの感動は今も覚えています」と、水彩色鉛筆画家のおかもとゆみさんは語ります。
子どもの頃から絵を描くことが好きだったというおかもとさん。美大卒業後は家電販売会社の社員、印刷会社のデザイナーを経て画家の道へと進みます。大きな転機を迎えたきっかけのひとつには、生まれつきの病と闘い、天国へと旅立った息子さんの存在がありました。
「絵を描くことが好きだった私を、この道に導いてくれたのは息子だと思うんです」。
一般的な色鉛筆の特性に加えて、水に溶けるという特徴をもつ水彩色鉛筆。色鉛筆の魅力である鮮やかで芯のある表情に、淡くやさしいタッチで仕上げられた作品たちは、多くの人の心を癒し、元気づけています。
「水彩色鉛筆の魅力をもっとたくさんの方に知ってもらえたら」と語るおかもとさんの笑顔の根源となる、画家として、そして母としての“Story”に迫ります。
絵を描くことが好きだった幼少期
子どもの頃から絵を描くことが好きだったというおかもとさん。学校の休み時間に自由帳を広げて漫画を描いたり、友達とつくった新聞に挿絵をつけて近所に配ったりと、創作は身近な遊びの一部だったと振り返ります。「特に、絵に関しては賞をもらった経験もあり、作品を褒めてもらう機会が多く、とても嬉しかったんです」。
人生のひとつめの転機は高校3年生のとき。たまたま見かけたグラフィックデザイナーの求人広告に惹かれ、美術系短期大学のグラフィックデザインコースへ進学することに。卒業後は家電販売会社に就職し、販売促進部で企画のツールを作成するなどデザインやものづくりに携わる仕事に就いていました。
最愛の息子に導かれた絵画講師への道
その後、印刷会社でデザイナーとして働くなかで旦那さまと結婚。子どもを授かり、喜びに包まれたのも束の間、妊娠8ヶ月で異変が判りました。医師からは「詳しい状態は生まれてくるまでわからない」と告げられ、自信を持って我が子を迎える心構えも、まして産むことを諦める決心もできないまま、涙に暮れる日々でした。そして出産の時を迎え、生まれたのは男の子。脳が十分に発達しない「全前脳胞症」という難病を患っていました。すぐにNICU(新生児集中治療室)に入ることになり、治療を続けるため、病院へ通う日々が続きます。
闘病生活とともにあった子育てでしたが、どの瞬間もおかもとさん夫婦にとってかけがえのない、愛おしいひとときでした。お子さんの未来を想い、不安に押しつぶされそうなときは、いつでも旦那さまが朗らかに寄り添い、支えてくれたのだそう。「そんな夫とともに息子を見守り育てるうちに、これまでの人生観が大きく変化しました」と、おかもとさんは振り返ります。
生まれてから2年8ヶ月後、最愛の息子さんは天国へと旅立っていきました。悲しみに溢れるなか、市役所へ手続きに行ったとき、ふと目に留まったのがカルチャー教室の講師募集の案内。「今振り返ると、あれは息子から私へのプレゼントだったような気がします」。美大出身であること、会社員時代に人前で教える機会があったことを思い出し、また、「これからは誰かのために生きたい」と応募を決心。それぞれ別だと思っていたこれまでの経験が一本の道としてつながり、ここからおかもとさんの画家人生がスタートします。
水彩色鉛筆との思わぬ出会い
カルチャー教室の講師になるためには面接があり、当初はラッピングレッスンを第一希望にしていたというおかもとさん。ところが、「面接の参加者にラッピング講師がいると知り、慌てて絵画レッスンに変更したんです」と笑います。美大時代からいろいろな画材に触れてきましたが、珍しいと思って選んだ画材が水彩色鉛筆。さまざまな偶然が折り重なって、水彩色鉛筆画の講師としての道を歩み始めました。
カルチャー教室でのレッスンをはじめとして、これまでに水彩色鉛筆画を指導した生徒は6,000名以上。アートギャラリーにて個展を開催したり、大手通信講座の講座監修を務めたりなど、活躍の場は大きく広がっていきました。
一般的な色鉛筆と違って「水に溶ける」という特性がある水彩色鉛筆は、ただ色を塗るだけでなく、 水彩絵の具のように筆に直接色をとったり 、 やすりで芯を削り粉状にしたりと、様々な使い方ができるところが魅力。「淡く、やさしい発色の絵に仕上がり、一度使ってみるとハマってしまう人も多いんですよ」。かく言うおかもとさんも、こんなに面白い画材があるのかと、その魅力に惹かれた一人です。
作品にやさしくのせる“祈り”
おかもとさんは、息子さんと同じ病気を抱える子どもの家族会「天使のつばさ」の発起人の一人でもあります。絵画講師として仕事をしながら会と関わり、病と向き合う患者家族を支えてきました。亡くなったお子さんの遺影代わりに、子どもの絵を描いて贈っていた時期も。子どもの絵を描くことは、おかもとさん自身にとっても意義のあることだったのです。
「海外のアートフェアに参加した際には、外国の方が子どもを描いた作品を気に入り、購入してくれました。我が子のような作品が、海の向こうで可愛がってもらえる様子を想像して嬉しくなりました」と語ります。
とある病院近くの会場で個展を開催したときには、毎回ギャラリーを楽しみにしているという病院の患者さんが来場してくれました。「この絵からは“祈り”を感じます」と手紙を渡してくれたことが、印象深く記憶に残っているそう。いつもおかもとさんの心にある、息子さん、そして同じ病を抱えるお子さんへの思いが投影されているのかもしれません。
水彩色鉛筆の魅力を多くの人へ届けるために
コロナ禍以降は、講師としてだけでなく画家としての活動も精力的に行っているおかもとさん。水彩色鉛筆画を中心に、アルコールインクや透明水彩、アクリルなど多彩な画材を組み合わせる「混合技法」で絵を描くことにもチャレンジしているのだそう。「最近は様々な業種の方と出会う機会が増えてきたので、そこで得たアイデアを交えながら、これからも唯一無二の作品をつくり続けていきたい」と明るく語ります。
また、画家としての活動はもちろん、講師として水彩色鉛筆の魅力を発信し続けていくことが、おかもとさんの変わらぬ目標です。はじめて体験した生徒たちが目を輝かせながら描く姿を見るのが、何よりの醍醐味なのだとか。
「夫をはじめたくさんの人に支えられながら、息子とともに過ごした短くもかけがえのない日々が、私の土台となっています。“他が為に生きる”、いつもそう考えながら、今、お返しの人生を生きています」。息子さんが出会わせてくれた水彩色鉛筆の魅力と描く楽しさを、これからも穏やかな笑顔で伝えます。
おかもとゆみ
水彩色鉛筆画家。2000年から水彩色鉛筆画の教室をはじめ、現在は常に満席となる人気講座へ。受講者は6,000人以上。神戸北野坂のアートギャラリーでの個展開催、大丸梅田店でのグループ展への出展のほか、アメリカや韓国で行われたアートフェアへの参加など、精力的に活動を行い、水彩色鉛筆画の普及に尽力している。
MAP
なし