Otonami Story

2024.7.23

フランス料理研究家から尼寺の料理長へ。伝統と想いを受け継ぐ決意。

Interviewee

三光院 竹之御所流精進料理 後継者 西井香春さん

600年以上の歴史をもつ竹之御所流精進料理を日本で唯一継承する臨済宗の尼寺「三光院」。趣深い境内で作務衣に身を包み、料理長として伝統を受け継ぎながら、尼僧として禅の修行を続けているのは、西井香春さんです。

「ご馳走とは本来、走り回るという意味。お客様をおもてなしするために、畑と台所を行き来することが、私の修行でもあるんです」と、西井さんは楽しそうに語ります。

かつてはフランス料理研究家として活躍した西井さんが、三光院に入り精進料理を究めることになったのは何故でしょうか。そして、西井さんを魅了した竹之御所流精進料理とはどのような料理なのでしょうか。

料理に全身全霊を捧げる西井さんの半生と、三光院の精進料理とを結ぶ“story”に迫ります。

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600年以上の歴史を持つ精進料理を守る尼寺「三光院」

東京・武蔵小金井の住宅街にそびえる三光院は、1934(昭和9)年に創建された臨済宗の尼寺です。山門をくぐると、重厚な本堂や苔むす庭の厳かな様子に圧倒されますが、「精進料理」の看板に導かれ奥へと進めば、尼寺の生活に溶け込むような食堂・十月堂があたたかく迎えてくれます。ここで提供される「竹之御所流精進料理」を求めて、三光院には国内外からの来客がひっきりなしに訪れています。

三光院の山門からは、桜やモミジの古木と苔に囲まれた重厚な本堂が見える

竹之御所流精進料理とは、京都の尼門跡寺院・曇華院(別名:竹之御所)にて600年以上にわたり受け継がれてきた精進料理のことです。天皇家の皇女をはじめ公家や将軍家の息女などが入寺した尼門跡寺院では、独特の御所文化が育まれました。これを反映した竹之御所流精進料理は、一般的な精進料理とは一線を画した気品と優雅さを兼ね備えています。

三光院が守り続ける精進料理の数々。季節と大地の恵みが身に染み入るようなおいしさ

曇華院で育った米田祖栄禅尼が初代住職に招かれたことで、三光院に門跡寺院の文化と共に竹之御所流精進料理が伝わりました。以後、2代目の星野香栄禅尼、そして3代目の西井香春(こうしゅん)さんへと受け継がれ、発展を遂げてきたのです。

1歳と16歳で二度海を渡った、稀有な子ども時代

西井さんは終戦間近の1944(昭和19)年、旧満州(中国内モンゴル自治区)で生まれました。終戦の頃には食糧が不足し、引き揚げ船を待つ間に西井さんは栄養失調になったといいます。命からがら帰国した西井さん一家でしたが、食べ物がないのは日本も同じでした。

お母さまはPX(アメリカ駐留軍のための売店)に勤めて食糧を入手し、何とか西井さんを育てあげました。基地の外には何もない、けれどPXではドルさえあればジュースやオレンジがいくらでも手に入る、そんな格差は西井さんの幼心に強烈な印象を残しました。

にこやかに過去を語る西井香春さん。その前向きさは周囲の心まで軽くする

14歳でお母さまを亡くし、失意に暮れていた西井さんですが、16歳の時に転機が訪れます。従姉で女優の岸恵子さんを頼ってフランスに渡る機会に恵まれたのです。当時は持ち出せる外貨に制限があり、海外渡航は多くの日本人にとって夢のまた夢。西井さんはわずかなドルを握りしめ、たった一人で貨客船に乗り込みました。「何かを学ぼうとか、予定や計画なんてありませんでした。もちろん心細くはありましたけど、チャンスがあるのなら行くべきだと思ったんです」。

パリの台所で輝くシェフに憧れ、料理の道を志す

西井さんは、岸さんの夫で映画監督のイヴ・シャンピさんの邸宅に身を寄せます。毎日大勢の文化人が訪れるサロンのようなシャンピ邸で、西井さんが特に魅了されたのは、邸宅に常駐するシェフのマダム・ラプランシュの料理でした。「シャンピ邸には偉い人がたくさん来ましたが、いつも食卓の主役は彼女の料理でしたし、彼女こそがスターでした」。西井さんは、マダム・ラプランシュのもとでフランス家庭料理を習得。そして、パリの名門料理学校「ル・コルドン・ブルー」や「エコール・ルノートル」に通い、どちらも首席で卒業します。

初夏の豆腐料理「インドのうさぎ」には、フレンチの盛り付けの技法が活かされている

40歳になるのを前に帰国した西井さんは、途端にメディアから引っ張りだこになります。当時の日本はまだ、ヨーロッパやアメリカなどの西洋諸国の料理を「西洋料理」とひとくくりにしている時代。本格的なフレンチを教えられる西井さんはとても貴重な人材だったのです。

フレンチのプロとなった西井さんが憧れたのは、祖国である日本の伝統文化だった

フランス料理研究家・西井郁として、NHKの料理番組『きょうの料理』への出演やレシピ本の出版、料理教室やワイン会の主宰など、確固たる地位を築いた西井さんでしたが、胸中にはある想いを抱えていました。

「どんなにフレンチを究めても、海外で聞かれるのはやっぱり日本のこと。日本人なのにちゃんと答えられない自分を、ずっと恥ずかしいと思っていました」。海外生活が長かった西井さんは、日本の伝統文化や料理に対して強い憧れを持ち、いつかきちんと学びたいと、チャンスを探し続けていたのです。

香栄禅尼と出会い、キャリアを捨てて精進料理の道へ

50歳で三光院を訪れた西井さんに、再び人生の転機がやってきます。三光院には、禅の教えや精進料理はもちろんのこと、皇室ゆかりの御所文化、茶道、華道、香道など、西井さんが憧れた伝統文化がすべて揃っていました。先代の星野香栄禅尼は、精進料理の国際化に尽力した、進歩的で料理への情熱に満ちた人でした。その人柄と料理に魅せられた西井さんは、香栄禅尼の弟子として三光院で暮らすことを決意します。

庭の野菜や香草は調理する直前に収穫し、一番おいしい状態で提供するのがこだわり

香栄禅尼から「香春」の僧名をもらった西井さんですが、得度はしていません。海外生活が長く膝が硬い西井さんは、坐禅を組めないのです。かつて香栄禅尼が修業した平林寺の老師様に相談すると、「坐禅だけが修行ではない。あなたは作務禅(料理などの労働を修行とする考え方)を行えばいい」と諭してくれたといいます。

三光院の茶室。日本文化に憧れた西井さんが、はじめてこの景色を見たときの表情が目に浮かぶよう

西井さんの生活は一変しますが、つらいと感じたことは一度もありませんでした。「私はマイペースで、住職から見たらハラハラすることも多かったと思いますが、こうしなさいとか、あれをしてはいけないなどは一切言われませんでした」と、西井さんは懐かしく思い出します。禅の教えや精進料理の形式ではなく、本質を守り伝えようとする香栄禅尼の深慮を感じながら、修行の日々は過ぎていきました。

人が集まり、自分らしく学ぶ。西井さんが目指す三光院の姿

三光院では、伝統的な精進料理が受け継がれると同時に、新たな精進料理を創出してきました。生涯肉食をしなかった祖栄禅尼のために、香栄禅尼が昔食べたイカ天を模してつくった「にゃくてん(こんにゃくの天ぷら)」や、香栄禅尼が考案し、西井さんが名づけた「香栄豆腐(味噌漬け豆腐の燻製)」など、一つひとつの料理に込められたエピソードには、禅の思想と共に、三光院の尼僧たちの母子のような絆が見え隠れしています。

お煮しめの一例。山わさびをアクセントに、大和芋を海苔で巻いた「大和芋の海苔巻き」は三光院の定番料理

2020年に香栄禅尼が永眠し、西井さんはついに竹之御所流精進料理の唯一の後継者となりました。料理長として、三光院の歴史とふたりの禅尼の思いを守り継ぎ、精進料理をつくり続けることで多くの人に伝えています。

西井さんは三光院の台所で精進料理の教室を開き、その普及と継承を目指している

「お寺は昔から、すべての人にとっての学びの場。人が集まり、訪れた人が朗らかになれる“何か”を生み出す、三光院をそんな場所にしていけたらと思っています」。三光院は今日も、西井さんの精進料理を楽しみに足を運ぶ人たちでにぎやかです。

臨済宗 泰元山 三光院

京都の尼門跡寺院・曇華院の流れを汲む、武蔵小金井の尼寺。初代住職の米田祖栄禅尼から二代目・星野香栄禅尼、そして現料理長の西井香春氏へと、600年以上の歴史を持つ竹之御所流精進料理を継承している。西井氏は料理研究家としても著名で、寺の一角にある食堂「十月堂」で精進料理のコースを提供。精進料理教室の開催、精進料理本の出版など、その普及と継承に力を注いでいる。

MAP

東京都小金井市本町3-1-36

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