Otonami Story

2023.6.29

次の世代へ伝えていきたい「日本人の心」。京菓子に触れて気づいた“日本の魅力”を発信し続ける。

Interviewee

笹屋伊織 10代目女将 田丸みゆきさん

京都で誰もが知る和菓子屋「笹屋伊織」。京都御所や神社仏閣の御用を代々務めてきた、創業300年超の歴史を誇る老舗です。田丸みゆきさんは、笹屋伊織のブランドプロデュース、メディアへの出演、講演の講師など、多彩に活躍する10代目女将です。

「和菓子を通じて日本の良さを感じられるのは素敵なこと。そこに込められた日本人の心を伝えたい」と話す田丸さん。主宰するセミナーでは、京菓子文化からおもてなしの心まで、日本文化の魅力を幅広く発信しています。田丸さんの惹き込まれるような語らいや立ち振る舞いに、セミナーは毎回大好評。何度も通うファンがいるほどの人気ぶりです。

証券会社に勤め、中学教師として働いていたキャリアも持ち、「和菓子のことは何も知らなかった」と語る田丸さん。京都の老舗和菓子屋へ嫁ぎ、奥さん、そして女将へ。そこにはどんな“Story”があったのでしょうか。笹屋伊織の伝統と暖簾を守りながら活躍を続ける、田丸さんの想いに迫ります。

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「決めたことは最後まで貫く」と心に決めた人生の転機

2人姉弟の長女として大阪で育った田丸さん。お父さまが教師、お母さまが教育関係の仕事をしていたこともあり、小さい頃から優等生でグループのリーダー役を務めることが多かったそう。はじめて転機が訪れたのは、高校受験の時でした。失敗を恐れて志望校を受験することなく諦め、別の高校に進学。しかし後悔が尽きなかったといいます。「同じ高校に、どうしてもその学校でスポーツがしたくて、周りに反対されながらも頑張って合格した同級生がいたんです。その子を見ていると、私はどうして挑戦しなかったんだろうってしばらく引きずりましたね」と振り返ります。

ほっとするような明るい笑顔で出迎えてくれる田丸さん

「でもある時、その友人に『自分で選んだんでしょう?』と言われて目が覚めるような思いをしました。確かにその通りで、どの高校を受験するか決めたのは私自身なんですよね」。その経験を糧に、はじめる前から無理だと諦めるのはやめよう、できるだけやってみよう、と心に決めたそうです。「自分で決めたことを、自分で責任を持って突き進む」。それが田丸さんの今につながる信念になっています。

証券会社から中学教師へ。今につながる社会人時代の経験

実はキャビンアテンダントになりたかったという田丸さんですが、学生時代の恩師の後押しもあり、短大卒業後は証券会社に就職。“お客様第一主義”という理念のもと、言葉遣いをはじめ、電話対応やクレーム対応、そして手紙の書き方まで、一から厳しくマナーを学んだそうです。この時に築いた接客の礎が、笹屋伊織でも大いに活かされることになるのです。

セミナーでは熨斗の書き方や懐紙の使い方など、実用的なポイントも教えてもらえる

そして、またも田丸さんに転機が訪れます。新入社員時代、元キャビンアテンダントが集って立ち上げたマナー指導会社で研修を受ける機会があり、「私がやりたかったのは、人と関わって何かを伝えるような仕事ではないかと気がついた」と一念発起。アナウンス学校に通い、人前で話す技術を身につけ、中学教師へと転身を遂げます。

ご両親の働く姿を見て、教師は憧れの職業のひとつだったそうです。「子どもたちはとても素直だし、こちらのことをよく見ているので手は抜けません。そして教師という立場上、贔屓してはいけないし、全員公平に話を聞かないといけない。それは今、従業員と接する時にも役立っています」。

老舗和菓子屋で新たなキャリアをスタート

中学教師を経験後すぐにご縁があり、ご主人となる10代目笹屋伊兵衛、田丸道哉さんと結婚。教師を続けるという選択肢もあったなか、家業を手伝う決断をしました。結婚するまで、和菓子屋の奥さんになるとは思いもよらなかったそうですが、店頭に立ってみると今までにない楽しさを感じたといいます。「ものを売る仕事をしたことがなかったので、新鮮でやりがいを感じましたね」と当時を振り返ります。

田丸さんがプロデュースした「笹屋伊織 別邸」。随所に笹屋伊織の伝統や歴史を取り入れた、こだわりの内装に注目

しかし、いざ店頭に立つと気になることがいろいろと出てきました。そこで、証券会社時代のマナーマニュアルに手を加えて従業員と共有。接客ルールを見直し、意識改革からはじめました。また、田丸さんだからこそできる新たな取り組みもスタート。そのひとつが、それまで断っていた学生による職場訪問の受け入れです。

Otonamiプランでは、茶室スペースを貸し切り田丸さん自らのお点前をいただける

「中学教師をしていた経験もあって、学生さんと接するのも楽しみでした。あらかじめ質問をお受けして、訪問して来られた時にお答えする、というスタイルだったんですが、それがまた難しいんですよね」と田丸さんは笑います。質問に答えるべく、職人さんやご主人にアドバイスを求めるだけでなく、自身でも和菓子に関する知識を徹底的に学びました。そのなかで和菓子の持つ魅力や日本文化とのかかわりに触れ、「なくしてはいけない文化がある」ことに気がつきます。「いろいろなことを知れば知るほど、この文化を伝えていきたいと思うようになりました」。

毎月3日間しか販売されない、笹屋伊織の幻のどら焼き「代表銘菓 どら焼」

さらに「学生さんと記念写真を撮るんですが、当時は洋装だったんです。和装だったらより京都の和菓子屋さんの雰囲気が出て喜んでもらえるかなと思って、着付けを学びました」と、装いにもこだわりました。妥協せず向き合ってやり遂げる、その姿勢が今も田丸さんのぶれない軸となっています。

和菓子屋の“奥さん”から“女将”へ

和装で接客する田丸さんの姿は、業界でも注目を集めるようになりました。当時、和菓子のことを人前で話せる講師は少なく、女性はゼロ。そんななか、田丸さんに講演の依頼が舞い込むようになります。「京都の和菓子文化を伝えられる貴重な機会なのでお受けしようと思いました。最初はお菓子の話や職人さんの話を中心にお話ししていたのですが、次第に企業研修や教育についてなど、いろいろなテーマをご提案いただくように」。講演場所や内容は多岐にわたり、なかには国の関連機関や省庁からの依頼も。今では年間80本を超える講演をこなす人気講師として活躍しています。

笹屋伊織らしい佇まいがある、白地に「笹」の暖簾

こうしてどんどん笹屋伊織の看板を背負うようになっていった田丸さん。今では“女将”として知られていますが、女将として前に出ることには迷いもあったそう。「京都の和菓子屋では奥さんのことを女将とは呼ばないんですよね。京都の和菓子屋を代表して講演することもあったので、格を下げてしまうんじゃないかとか、自分が表に出ることで京都の老舗の価値を崩してしまうんじゃないかと考えることもありました」。

しかし「その時々で、正しいか間違っているかわからないけれど、立ち向かっていく。恥ずかしいことや失敗ももちろんたくさんあります。でも絶対に逃げないと決めているので、お仕事に対しても臆せずにやり抜くことを貫いています」。そう話す笑顔から強い意志を感じます。

日本人であることを楽しむ機会を提供したい

もうすぐ笹屋伊織に嫁いで30年。「一生懸命やってきた一つひとつの事柄が、ようやくつながってきていると肌で感じています」。現在、笹屋伊織の店舗やブランドのプロデュース、メディアへの出演、講師など様々なかたちで精力的に活動を続けています。

春の登場を待ちわびる人が多い笹屋伊織の人気和菓子「桜しぐれ」

「日本の良いところを伝えたい」と自ら主宰するセミナー「ニッポンを楽しもう」は毎回大好評。おもてなしや京菓子文化、マナーなどを学ぶことができ、Otonamiプランにも組み込まれています。セミナーでは、田丸さんのお話だけでなくゲストスピーカーのお話を伺えることも。後世に伝えたい伝統技術や想いを持つ企業や職人さんに田丸さんが声をかけ、活動の輪を広げているのだといいます。「良いご縁は、さらに良いご縁を連れてきてくれます。そうして輪を広げていって、皆で取り組みを続ける……。そうすれば、何かを成し遂げられるんじゃないかと思っています」。

田丸さんのナビゲートで、日本の魅力に触れる経験を

「日本には素晴らしい文化がたくさんあります。和菓子もそのひとつですが、菓銘やかたちには一つひとつ意味があり、そこに込められた願いがある。そういった背景を知ると、日本がより好きになります」と田丸さん。「思わず誰かに伝えたくなる、そんな知識を持って帰っていただきたいです」。先人から受け継がれてきたものを次世代へ。“日本人の和の心”を、田丸さんはこれからも丁寧に伝え続けていきます。

笹屋伊織

1716(享保元)年創業、京都に本店を置く老舗和菓子屋。有職菓子司として御所や神社仏閣、茶道の家元などから厚い信頼を受け、歴史を重ねてきた。2020年、「ホテル エミオン京都」に開店した「笹屋伊織 別邸」は、10代目女将・田丸みゆき氏がプロデュースした店舗。和洋のテイストを取り入れたカフェを併設するなど、新しい取り組みにもチャレンジし、和菓子の魅力を発信し続けている。

MAP

京都府京都市下京区朱雀堂ノ口町20-4 ホテル エミオン 京都 1F

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