Otonami Story

2024.2.27

美しい自然のなかで布を染め織る。失われつつある手仕事の喜びを共に。

Interviewee

染織工房 空蝉 染織家 宇都宮弘子さん

樹木や草花から作る染料で、糸や布を染める「草木染め」。日本では縄文時代頃から染色の技術があったとされ、遠い祖先から受け継がれてきた長い歴史が窺えます。

化学染料による染色が主流となった現代。美しい水と深い山々が生み出す大自然の恵みをいただき、伝統的な手法を続けているのが、染織家の宇都宮弘子さんです。

「世界にひとつの色がだんだんと染まっていく愛おしさ、自然と一体となるような安心感。この幸せを独り占めするのではなく、自然の色を身にまとう喜びを伝えたい」という想いで、ワークショップや草木染め教室の開催などの染織の魅力を伝える活動に注力しています。

過去、輝かしいキャリアを失い、深い喪失感の先に辿り着いた自然と共に生きる暮らし。染織を通して人生の豊かさを多くの人々に伝える宇都宮さんの“story”をお届けします。

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深い喪失感のなかで出会った染織の世界

奈良の奥大和と呼ばれる、自然豊かな東吉野村。この地で「染織工房 空蝉(うつせみ)」を営む宇都宮さん。山野の植物から染料を取り、蚕から糸を紡ぎ、“染め織り”をして暮らしています。自然との共生の魅力を発信するワークショップや草木染め教室などの活動が注目を浴び、今では百貨店や企業とのコラボレーション、執筆活動など多岐にわたり活躍しています。

しかし、ここに至るまでには華やかなキャリアと生きがいを失った壮絶な過去がありました。宇都宮さんが染織の世界に出会ったのは、その深い喪失感のなかだったのです。

草木染め体験は、季節ごとに循環する草木から抽出した“無限の色”との一期一会

愛媛県で生まれ育った宇都宮さん。野山を駆け回る少女でしたが、百貨店への就職を機に憧れの東京へ。女性の役職支援や再就職制度などを担当し、文化の先駆けをつくる仕事にやりがいを感じていたといいます。しかし、30歳を目前に「軸がない」と考えるように……。仕事を辞め、前職で興味を持ったコミュニケーションメディアに関する知見を深めるためニューヨーク留学を決断したのです。ところが、母親の病気を機に半ばにして帰国。「これからどうしよう」と模索するなかで出会ったのが香港映画でした。

一つひとつの作業の意味や草木の成分など、深い知識をもとに草木染めの魅力を伝える

「その魅力に衝撃を受け、仲間と共に映画会社を立ち上げました」と当時を振り返ります。時代は香港ニュー・シネマ全盛期。配給や公開に奔走するうちに規模は拡大し、気づけば監督と家族ぐるみの付き合いをするほど実績と信頼を積み上げていました。しかし、尖閣諸島問題等をきっかけに状況は一変。25年間続いた会社は閉鎖を余儀なくされたのです。「人生は終わった。愛と情熱をかけて積み上げてきたことは、すべて間違いだったのだろうか……」。悲しさと悔しさがあふれ、失意の底に落ち込みました。

つらいさなかにふと湧き上がってきた染織への想い

家賃も払えず、友人宅へ居候することになった宇都宮さん。持ち込んだわずかな私物の中には5冊の書籍が。そのうちの3冊が、以前から不思議と惹かれていた“染織”に関するものだったそうです。「本を眺めているうちに涙がポロポロこぼれてきて、この世界でやってみたいと思えたのです」。このとき宇都宮さんは55歳、再出発の兆しでした。

野山と美しい湧水。新たな居場所との出会い

愛媛県は、伊勢神宮の式年遷宮に糸を奉納するほど上質なシルクの産地。蚕から糸を紡いで染め織る技術を学べる施設「野村シルク博物館」があることを知った宇都宮さんは、故郷に戻りその道を学ぶことにしたのです。そして5年経った頃、「ぬくぬくとしていてはダメ。自分だけの工房を作ろう」と思い至ります。

蚕の糸から紡いだ、花びらのように繊細なシルクストール

新たな挑戦の始まりは、工房の土地探しからでした。唯一の希望条件は、山の水が使える場所であること。関西を中心に土地をめぐる日々が続き、ある日、トンネルを抜けると奈良に辿り着いていました。「奈良に行くことがあったら、水の神様をまつる吉野の丹生(にう)川上神社に行きなさい」と染織の先生に教わったことを思い出した宇都宮さんは、参拝へ。するとその日、村民に声をかけられ、空き家を紹介されたのです。

偶然に導かれるように、新たな拠点としてふさわしい古民家と出会った

裏山があり、石垣から美しい水が湧く、広い古民家。とんとん拍子で移住が決まりました。ただ、宇都宮さんは当時の不安を「これから何をして生きていけるのか、当てはないままでした」と話します。

大きな安心感と、得もいわれぬ喜びを感じて

「染料を取るために草木を幾度も洗う。カタンカタンと糸を織る。そういった反復作業をしていると、まるで自然と一体化し、自分が織り機になったような感覚になります。この静かな作業を通じて喪失感は癒されていきました」。宇都宮さんはそうほほ笑みます。圧倒的に美しい東吉野の自然に抱かれ、ゆったりした時間の中で、目的なくただただ染め織る日々。それは、心身の奥底を癒す究極のセラピーだったのです。

奈良時代からの歴史を受け継ぐ藍染。蓼藍から染料を作る「藍建て」には、手間暇がかかる

そして、染め織りのことを深く知るほどに、ご先祖様たちが守ってきた知恵や愛のバトンの先に自分が存在することに思いを馳せ、守られているような託されているような気持ちが湧いてくるようになったといいます。また、この瞬間にも息づいている大自然の広がりの中に抱かれていることも感じるように……。「今ここにいる自分が、壮大な時空を超えて縦にも横にもつながっている。その感覚に大きな安心感と、得もいわれぬ喜びがありました」。

草木から色素を取る、「植物の命をいただく」作業

この幸せをひとりでも多くの人に共有したい。そう考えるようになった宇都宮さんは、自然と共生する暮らしを伝える場をつくるべく、工房を改修。持てる知識のすべてを通して、染め織りの体験を提供していくことに決めたのです。

染織の手作業が持つセラピー効果

糸作り、草木染め、機織りなどの体験をすると、日頃抑えていた思いが込み上げて泣き出してしまう人も多いそう。「効率重視の現代で疎かにされている手作業は、感性が動く行為。人との関わりが感じられる協働でもあり、セラピーでもあるのでしょう」。宇都宮さんはそう考えます。

美しい色に染まる天然染料。染料のもととなる草木は、病から身を守り心身を癒す薬効を持つ

そして、体験をした人が「家の庭に生えている草木で染めてみよう」「花を育ててみよう」と思うようになるなど、日々の暮らしがより彩り豊かに、世界が広がるきっかけにしてほしいと願います。

染料となる四季折々の植物は、工房脇の畑と裏山で栽培・植林している

「エシヌ」のエネルギーをまとう世界にただひとつの色を

宇都宮さんに今後の夢について尋ねると、「様々な分野のクリエイターたちと共に村を盛り上げたい。また、害獣として駆除される鹿の革を使った作品づくりなどを通して、自然へ還していく社会を作っていきたい」。そう、優しい笑顔で教えてくれました。

自然に畏敬の念を抱き、人々の営みを慈しむ宇都宮さん。あたたかい人柄がにじむ

吉野は古名を「エシヌ」といい、美しい野山という意味があります。Otonamiの体験プランでは、エシヌのエネルギーを宿す草木を使って、世界にたったひとつの色を表現します。自分だけの一期一会の色に染まった布は、きっと身にまとうお守りになってくれることでしょう。

染織工房 空蝉

奈良県東吉野村に2017年にオープンしたアトリエ。染織家・宇都宮弘子氏が、昔ながらの伝統技法で絹糸を染め織る。自然と共生する暮らしの体験ができる宿泊型のワークショップ、草木染教室の開催、展示会や企業とのコラボ商品の開発など、四季折々の自然の恵みを生かした日本古来の色を伝える活動を積極的に行っている。

MAP

奈良県吉野郡東吉野村麦谷239-1

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