Otonami Story

2025.6.27

いつもそこに在り続ける。軽井沢の老舗「万平ホテル」が紡いできた、変わらぬ信念。

万平ホテル

国内外に多くのファンを持つ「万平ホテル」。冷涼な気候と雄大な自然、そしてレトロな洋館が立ち並ぶ瀟洒な街並みが魅力の軽井沢に佇む、日本有数のクラシックホテルです。

万平ホテルが130年以上にわたり歴史を刻んできた軽井沢の地は、今でこそ国内屈指の高原リゾートとして知られていますが、明治時代初期には宿場町としての役割を失い、衰退の一途をたどっていました。避暑地として脚光を浴び、押しも押されぬ人気リゾートへと変貌を遂げた背景には、初代・佐藤万平が、ある外国人宣教師に尽くした懸命なおもてなしの心がありました。

軽井沢を代表するクラシックホテルとして、街と共に発展を続けてきた万平ホテルの“Story”と、創業から守り継ぐ信念を紐解きます。

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時代を超えて人々に愛される、軽井沢随一の老舗ホテル

にぎやかな旧軽井沢の銀座通りから一本奥へと入った先に、木漏れ日と鳥のさえずりに包まれた自然豊かな別荘地が広がっています。木々の緑が鮮やかな万平通りを進むと、やがて見えてくるのが「万平ホテル」。歴史と品格が漂う木造のクラシック建築が「お待ちしておりました」とこちらに語りかけるように迎えてくれます。

ハーフティンバー風の外観が中世ヨーロッパを思わせる、万平ホテルの「アルプス館」

万平ホテルは、1894年(明治27)年に創業した、日本有数のクラシックホテルです。国内外の要人や文化人が多く訪れ、ジョン・レノンが夏の定宿にしていたことでも知られています。現在も「軽井沢を訪れるなら一度は泊まってみたい憧れのホテル」として人気を集め、全国各地の“万平ホテルファン”を惹きつけています。

昔と変わらない、重厚ながらあたたかな雰囲気のロビー

1936(昭和11)年建造の本館「アルプス館」は、「日光金谷ホテル」や「富士ビューホテル」なども手がけた久米権九郎(1895-1965)による設計で、国の登録有形文化財として位置づけられています。和洋折衷の美しい建築意匠に加え、深紅の絨毯やステンドグラス、軽井沢彫の施された調度品なども歴史を感じさせるしつらえで、ロビーに一歩足を踏み入れれば、時の流れが止まったかのような非日常の雰囲気を感じられます。

衰退しつつある宿場町を変えた、初代万平とカナダ人宣教師との出会い

「万平ホテルの歩みは、軽井沢の歴史と深く結びついています」。そう語るのは、万平ホテルの広報担当・西澤美奈子さん。今や高原リゾートとして知られる軽井沢ですが、江戸時代は中山道の宿場町のひとつ「軽井沢宿」として栄えていました。江戸から信濃へ向かう途中の難所・碓氷峠を越えた先にあり、多くの大名や公家が参勤交代の際にここで足を休めたのだとか。

しかし、明治維新で宿場制度が廃止されると、鉄道・道路の整備で交通が減少し、軽井沢は一気に廃れてしまいます。万平ホテルの前身で1764(明和元)年に開業した軽井沢宿の旅籠「亀屋」も、明治初期には苦境に立たされたのです。

メインダイニングルームには、かつての参勤交代の様子が描かれたステンドグラスが飾られている

カナダ人宣教師 アレクサンダー・クロフト・ショーと、帝国大学の講師 ジェームズ・メイン・ディクソンが亀屋を訪れたのはそんな頃、1886(明治19)年のことでした。故郷のカナダやスコットランドによく似た涼しい気候や豊かな自然がすぐに気に入ったふたりでしたが、何より感銘を受けたのは、亀屋の主人・佐藤万平をはじめとする軽井沢の人々の親切さだったといいます。

万平ホテル創業者・佐藤万平(写真中央)とその家族

万平が外国人客を接客するのはこの時がはじめてで、当時は英語も話せず、西洋料理を見たことさえありませんでした。万平は言葉が通じないながらもふたりの好みを聞き出し、見よう見まねで玉子料理や魚のムニエルなどをつくったといいます。

「初代万平はとにかく人をおもてなしすることが大好きで、そのための努力は惜しまない人だったそうです」と、西澤さんは語ります。当時の軽井沢ではバターのような西洋の食材は手に入らなかったそうですが、味噌や川魚など地元の食材を駆使して、なんとか西洋人の口に合う食事を提供しようと工夫を重ねました。そんな万平の姿に感動し、ふたりは真のホスピタリティを感じたのです。

旅籠「亀屋」から、西洋の文化をまとうホテルへ

軽井沢でひと夏を過ごしてすっかり虜になったショーが、国内外の著名人らに軽井沢の良さを広めたため、外国人の間で一気に「避暑地・軽井沢」の名が広まりました。ショーはその翌年、翌々年と続けて軽井沢と亀屋を訪れ、ついにはこの地に別荘を建てるに至ります。そしてその評判を聞きつけて、次第に多くの外国人がこの地に集まるようになったのです。

創業当時の万平ホテル(当時の屋号は亀屋ホテル)。旅籠の雰囲気がまだ色濃く残っている

この出会いに影響を受けたのはショーだけではありません。万平もまた、体当たりのおもてなしでふたりに喜んでもらえたことが嬉しく、「また来てくれるのならばもっと西洋式の接客を学びたい」と、思いを新たにしました。自ら海外に出かけ、西洋式ホテルを尋ねて回った万平は、帰国するとすぐに亀屋の屋号を「亀屋ホテル」に改め、さらにその2年後には、外国人が発音しやすいよう「MAMPEI(萬平)ホテル」に改名します。

改名した当時に掲げ、今も「アルプス館」の玄関に残る名物看板。外国人が発音しやすいよう「MAMPEI」という綴りを採用した

万平は、各部屋にお手製のベッドをつくったり、当時は珍しかった朝食付きのプランを用意したりと、当時の日本としては画期的なサービスを次々に導入。評判を聞いてさらに多くの外国人が軽井沢を訪れるようになりました。

その後、万平ホテルは現在の地に移転し、1936(昭和11)年には今も残るアルプス館が完成。第二次世界大戦後は一時GHQ(アメリカ陸軍第8軍)に接収され、一部は将校用の宿泊施設として改造されたことも。時代に翻弄されつつも、軽井沢の発展とともに本格的な西洋ホテルへと生まれ変わってゆきました。

万平ホテルに魅了された人たち

国内外で軽井沢の評判が高まり、別荘を建てて毎年訪れる人が増えると、万平ホテルは上流階級が集うサロンの役割も果たすようになります。ホテル内には、明治時代から大正、昭和にかけて、各国の要人や著名な芸術家、作家らが滞在した記録がいくつも残されています。

かつての社交場の面影を残すメインダイニングルーム。木製の格子が美しい「折上げ格天井」など、建築的な見どころも多い

1920年代にパリ画壇を席巻した画家・藤田嗣治も、万平ホテルに滞在した文化人のひとり。ホテルからほど近い場所にある「軽井沢安東美術館」では、彼の代名詞でもある「乳白色の裸婦」をはじめ、多くの藤田作品を鑑賞できます。Otonamiでは、万平ホテルに滞在しながら、軽井沢安東美術館のプライベートツアーなどを楽しむ体験プランも用意されています。

色壁が印象的な軽井沢安東美術館にて、万平ホテルで創作意欲を高めた藤田嗣治の作品と対峙する

また、1970年代にはジョン・レノン一家が滞在していたことでも有名で、万平ホテル内のバーには彼がつま弾いたアップライトピアノが今も残されています。カフェテラスで提供されているロイヤルミルクティーも、彼にレシピを教わったものなのだとか。さらに、「猫をこよなく愛したジョン・レノンが、テラス入り口付近の壁の隙間に落ちた子猫を救うため、従業員と協力して壁を壊したというのは、知る人ぞ知る逸話です」と西澤さん。

ジョン・レノンが気に入り、欲しがったというアップライトピアノが、今もバーに飾られている

従業員が自分なりに工夫する、マニュアル通りではないおもてなし

時代を超えて多くの人が万平ホテルに魅了されるのは、その格式の高さや建物の美しさだけが理由ではありません。はじめて訪れてもどこか懐かしく、再訪すれば「おかえりなさいませ」と出迎えてもらえるような、あたたかく真心のこもったおもてなしが人々の心をとらえています。

従業員との交流を滞在の楽しみにしている宿泊客も多い。ホテルの歴史や見どころまで親切に教えてくれる

万平ホテルらしいおもてなしの具体例を聞いてみると、少し間を置いて「具体例を挙げるのがなかなか難しくて……」と西澤さん。「実は、万平ホテルには接客マニュアルというものがありません。従業員がお客さまに喜んでいただけるおもてなしを自分なりに工夫しているので、決まったサービスというのは存在しないのです」。

控えめながら誠実な接客が、今も万平ホテルの歴史を紡いでいる

指針となっているのは、初代万平が残した「おもてなしは心なり、ホテルは人なり。」という言葉。この信念を今も守り、目の前の宿泊客に寄り添ったおもてなしを、従業員それぞれが考えて行動しています。

おもてなしは心なり、ホテルは人なり

2023年、一時休館しての全館改修に踏み切った万平ホテル。「耐震強度や利便性を向上させつつ、これまでの万平ホテルから 『変えない』ことが、リニューアルの最大のテーマでした」。建物を柱と屋根だけの状態まで分解し、建物ごとジャッキアップして基礎を更新するという、大がかりで手間のかかる工事を選択したのもそのためだといいます。

和洋折衷のクラシカルな空間が広がるバー。創業からアルプス館を彩る赤い絨毯が特別なひとときを引き立てる

建造当時から残るステンドグラスやベルデスク、バーの扉、照明器具といった建具や調度品は、極力以前のものを以前の位置に取り付け、絨毯は以前のものから色を抽出して新調。「変えない」という究極のこだわりは、細部にまで及びました。

自慢のクラシックフレンチにおいても「変わらない味わい」を目指す。ソースの味からコンソメの取り方に至るまで受け継がれている

2024年10月、リニューアルオープンを迎えた万平ホテルで人々を出迎えていたのは、改修前と変わらぬ従業員の姿です。従業員を変えないというのも、休業前から支配人が宣言していたことだったとか。万平ホテルの歴史をひたむきに守る一人ひとりへの感謝はもちろんのこと、再開を待つ人々を裏切ることなく、いつもの顔ぶれで迎えたいというあたたかな心配りがにじんでいます。

信州の職人・宇野澤秀夫氏によって制作された、ホテルの象徴ともいえるステンドグラス。平穏を願う「青海波に亀」の図案は亀屋にちなむ

「万平ホテルには、何世代にもわたり通っていただいているご家族や、結婚式など人生の晴れの日を過ごしていただいたお客さまがたくさんいらっしゃいます。皆さまがいつかまたここへ来てくださった時に、変わらぬ姿の建物、変わらぬ笑顔の私たちでお迎えしたい」。そう西澤さんは話します。訪れた人の想い出と共に、何年経っても変わらずそこに在り続けること。自然の懐に抱かれるような大きな安心感こそが、万平ホテルが提供する最大のおもてなしです。

軽井沢の静かな緑を望む客室で、130年以上の物語に想いを寄せる

万平ホテル

1894(明治27)年に創業した、軽井沢初の西洋式ホテル。ハーフティンバー様式の外観と、和洋折衷の意匠が特徴のアルプス館は、国の登録有形文化財として認定を受けており、2024年のリニューアルオープンを経ても以前と変わらぬクラシカルで重厚な美しさを保っている。長年に渡り各国の要人や財界人、文化人らに愛され、ジョン・レノン一家が夏の定宿にしていたことでも知られる。

MAP

長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢925

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