Otonami Story

2025.6.25

画家夫妻から受け継がれるバウハウス建築。奇跡のデザインと刻まれた物語を次の未来へ。

三岸家住宅アトリエ

東京・中野の閑静な小道にひっそりと佇む「三岸家住宅アトリエ」。近代日本洋画を代表する画家・三岸好太郎と、同じく画家である妻・節子のために1934(昭和9)年に建てられました。

夫妻の面影を残すこのアトリエは、四角い箱のような外観や大きなガラス窓を特徴とし、木造建築でありながらバウハウスのデザインが色濃く反映された珍しい建物です。修繕を繰り返し、竣工からおよそ90年経った今も現存。戦前から残る日本の貴重な文化財として国登録有形文化財にも指定されました。

アトリエの運営を担うチームのひとり、小泉佳奈さんは「ここまで良い状態で残り続けたのは、世に残すべき建物として“必然”だったからではないでしょうか」と語り、同じく運営チームの一員であるRIO UMEZAWAさんもまた、現代アーティストの立場からアトリエと心を通わせます。今回はお二人に話を伺い、三岸家住宅アトリエに眠る“Story”を紐解きます。

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戦前から現存する数少ない木造モダニズム建築

日本の洋画界に大きな足跡を残した三岸好太郎(1903-1934)と妻・節子(1905-1999)のために建設された「三岸家住宅アトリエ」。ドイツの美術学校「バウハウス」に留学した建築家・山脇巌(1898-1987)が設計し、日本と西洋の建築様式が融合する木造モダニズム建築として、国登録有形文化財に指定されています。

貴重な木造モダニズム建築に訪問者はみな感激する

1934(昭和9)年3月から設計を開始し、同年10月に竣工したアトリエの歴史は90年以上。依頼主である好太郎は、この空間で絵筆を走らせることを誰よりも楽しみにしていました。しかし、竣工前に病気で他界。遺された妻・節子は、好太郎に代わり住宅兼アトリエとして30年以上活用し、いくつもの名作を生み出しました。

螺旋階段がアクセントになっている吹抜けの室内。無駄を削ぎ落とした美しさと窓から差し込む明るい光が調和する

節子はアトリエで暮らすあいだ、戦争や自然災害により幾度となく被害を受け、そのたびにアトリエの修復・改修工事を行っていました。第二次世界大戦の空襲では窓ガラスがすべて割れてしまい、一時的にキャンバスを窓に貼って凌いでいたというエピソードもあるそうです。強度を上げるために建物のデザインを一部変更する選択肢もあったはず。しかし節子は、亡き夫がつくったアトリエをそのまま残すことにこだわり続けました。「節子さんは好太郎さんに、盲目的なまでに惚れていたのではないかと思います」と、アトリエを運営するひとり、小泉佳奈さんは言います。

アトリエの運営者で現代アーティスト・RIO UMEZAWAさんの作品。節子もこんな風に自身の作品を見つめていたのだろうか

依頼主の純粋な想いを形にした設計者

好太郎は、『少年道化』『オーケストラ』などの作品で知られ、常に斬新な表現方法を追求していた鬼才の画家でした。アトリエ誕生の物語は、建物の向かいにあった藁ぶき屋根の農家を気に入った好太郎が、その農家から土地を買いアトリエの建設を企てたことから始まります。好太郎はまずアトリエのデザイン画を描き、友人の紹介で知り合った建築家・山脇巌に設計を依頼しました。

竣工当時のアトリエ室内。山脇のように戦前にバウハウスに留学した日本人は数少なく、貴重な存在だった(写真:三岸家住宅アトリエ)

たっぷり降り注ぐ日差しのなかで、自由に絵筆を走らせるイメージを抱いていた好太郎は、四角い箱の外観に大きな窓がいくつもある建物をデザイン。建築のセオリーに縛られることなく、己の感性と純粋な憧れのままに描いたことが感じられるスケッチだったといいます。そしてこれを“木造”でつくりたいと希望したそう。

「スケッチを見た山脇さんは、その難易度の高さに困惑し、驚きを隠せなかったと思います」と小泉さん。問題点のひとつは、陽射しがたっぷりと入り込む大きなガラス窓。室内に大量かつ強い光が降り注ぐことは、家具やフローリングが日焼けする原因となるため通常は避けるそう。しかし好太郎はこの大きな窓に強いこだわりをもっていました。

大きなガラス窓やフラットな屋根など、建築の観点で難しい構想だといわれていた(写真:三岸家住宅アトリエ)

また、屋根がフラットで軒の出がまったくなく豪雨に耐えられないデザインで、木造であることも難題だったといいます。本場ドイツのバウハウス建築は鉄筋コンクリートでつくられて、地震や水害への対策も考慮された構造です。日本では木造の資材が安価で手に入りやすいことから「予算の都合で木造を指定したのでは」と推測されていますが、いずれにしてもバウハウス建築を木造で建てることは、前代未聞の取り組みだったのです。

結果的に好太郎の理想が現実となり、大きな窓から光が差し込む室内

数々の問題を抱えたまま施工が始まったアトリエは、驚くことに、ほとんどが好太郎のデザイン通りに完成しました。依頼主の想いを尊重し、希望を叶えようとした山脇の並々ならぬ気概はさることながら、難題を超えて実現させた技術力にも感服します。夫亡き後にこの空間で創作に励んだ節子にとっても、好太郎の想いに満ちたアトリエは心の支えになっていたことでしょう。

木造モダニズム建築に見る希少性と、機能美を追求したシンプルなデザイン

三岸家住宅アトリエの魅力は、偉大な画家を偲ぶ点だけではありません。バウハウスの様式を反映したモダニズム建築でありながら、日本ならではの木造建築が珍しく、価値があるといわれています。装飾的なデザインから脱却し、シンプルな機能性を追求したバウハウス。天井まで続く全面のガラス窓や水平の屋根による四角い外観は、バウハウス建築の特徴そのものです。

1934(昭和9)年に竣工。真っ白な直方体の外観は当時では珍しく、目を引く建物だったという(写真:三岸家住宅アトリエ)

現代アーティストのRIOさんは、アトリエの魅力についてこう語ります。「なんといってもデザイン性の高さが素晴らしいです。当時は異端で近所の人からは『豆腐の家』と呼ばれていたそうですが、スタイリッシュで現代にも通用するデザインだと思います」。2014年3月には国登録有形文化財に指定された三岸家住宅アトリエ。部屋の窓からは季節の移り変わりを感じられ、晴れの日だけではなく雨の日もまた幽玄な魅力があり、いつ訪れても違った雰囲気を楽しめるといいます。

春には窓の外に桜が見られる部屋も

丁寧に受け継がれ、残るべくして残った建物

昭和初期から現在に至るまでの約90年間、様々な人によって支えられてきた三岸家住宅アトリエ。ここで30年以上を過ごした節子は、娘のひとりにアトリエを託しました。その後は孫へと継承され、2024年6月には親族の手を離れ耐震補強工事を専門とする株式会社キーマンが継承。価値のある文化財として後世につなげるべく、保存や耐震のための改修プロジェクトが進められています。

それぞれの代の継承者が建物を守るために工夫し、保存状態の良さも一目置かれる

キーマンでは、アトリエを歴史的建造物として残すことはもちろん、必要な人々に公開し、生きた建物として活用することも使命だと考えています。そこで、よりこの場所の魅力を活かすべく、空間活用のノウハウを持った適任者に運営を託すことに。そのうちのひとりが、現在運営チームの一員として活動する小泉さんでした。「私は長年PRの仕事をしてきたので、イベントの企画や運営は専門分野です。これまでの経験を活かして、歴史ある貴重な建築を守るという大役を、様々な人たちと共に協力していけたらと思い引き受けました」。

さらに、画家夫婦が残した空間という点からアートに関心がある人を呼び込もうと、旧知の間柄である現代アーティストのRIOさんを運営チームに紹介。RIOさんは、時代を風靡した女流作家のアトリエに関われることに喜びを感じたといいます。

現代アーティストとして活動するRIOさん

継承からおよそ1年。それぞれの立場からアトリエに携わり、やりがいを感じているというお二人。「著名な画家である好太郎さんがデザインし、その妻で画家の節子さんが実際に活動していた場所なので、アトリエに居るだけでエネルギーをもらえます」とRIOさん。一方小泉さんは「台風や地震の多い日本で、耐震性の低い木造建築がなぜ90年も残ったのか。偶然ではなく、世に残すべき建物として選ばれているのではと感じています」と語ります。

巨匠の面影が残るアトリエで堪能するアートワークショップ

通常非公開の三岸家住宅アトリエを贅沢に貸し切り、水彩画を描くアートワークショップを体験できるOtonamiサロン限定プラン。現代アーティストのRIOさんと共に2つのアートを制作します。合間には三岸夫妻やアトリエにまつわる話が聞ける歓談のひとときも。

国内外で活躍する現代アーティストと特別なアトリエで過ごすひととき

「三岸夫妻が残したアトリエには随所にデザインへのこだわりが散りばめられていて、創作のパワーをもらえると思います。アートが未経験の方もリラックスしながら和やかに、まずは非日常的な空間を楽しんでいただければ嬉しいです」とRIOさん。

洗練された空間でRIOさんが厳選したワインやアペリティフを味わいながら制作

三岸家住宅アトリエでは、次の100年に向けて少しずつ保存・耐震・改修工事が進められています。元の形を限りなく維持しつつも、現代の技術を加えてアップデート。そして工事の過程はできるだけオープンしながら進め、建築や保存活動に興味がある人に積極的に公開しています。「建物の中に入って、触れて、歴史の名残りを感じてほしい。多くの人を招いて楽しめる建物にしていきたいです」と小泉さん。バウハウス建築の貴重な歴史を継承しながら、現代に生きるアトリエへ。魅力を幾重にも重ねて、三岸家住宅アトリエの物語はこれからも続きます。

三岸家住宅アトリエ

1934(昭和9)年に画家である三岸好太郎・節子夫妻のアトリエとして建築された国登録有形文化財。ドイツのバウハウスへ留学した夫妻の友人、山脇巌による設計で知られる。吹抜けの内部は螺旋階段がアクセントになっており、全面ガラス窓から陽光が差し込む。現代に残された貴重なモダニズム建築のひとつ。

MAP

東京都中野区上鷺宮2丁目2−16

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