Otonami Story
2024.10.28
100年先の和菓子職人の活躍を願って。伝統を守り、未来を切り開く新たな挑戦。
Interviewee
菓子司 百舟(ももふね) 主宰 永用 昌也さん
季節の移ろいを目で舌で楽しめる和菓子。技術を磨いた職人が手がける逸品は息を呑むほど美しく、その繊細さは芸術の域にまで達します。
日本文化を投影する和菓子の世界で、実店舗を持たないフリーランスの和菓子職人として活動するのは「菓子司 百舟」の永用昌也さん。100年以上続く和菓子店の3代目として生まれた永用さんは、和菓子産業の現状や職人を取り巻く環境に危機感を抱き、“和菓子のファン”を増やす活動を始めます。
「夢は、和菓子職人という職業を世界中の人々に知ってもらうこと」。日本で連綿と受け継がれてきた技術と伝統を守るため、和菓子職人の枠を超えて多彩な活動を続ける永用さんの“Story”に迫ります。
和菓子をつくる音と香りに包まれた幼少時代
「饅頭が蒸される音、職人が道具を使う音、小豆を煮る香り、米を蒸す香り……。思い返してみると、とても賑やかな環境で育ちました」。幼少時代を懐かしく振り返るのは、和菓子職人の永用昌也さんです。和歌山県で100年以上続く和菓子店の3代目として生まれた永用さん。店舗を兼ね備えた自宅で育ち、いつも和菓子をつくる音と香りに包まれていたと話します。
和菓子づくりの音と共に、春には桜、秋には栗の香りが漂い、意識せずとも季節の移り変わりを感じられる暮らし。「ただ、当時はその音と香りが苦手でした」。家中に満ちる餡の香りが、服や髪にまで染み込んでいる気がしたのだとか。「『和菓子屋の息子』と呼ばれるたびに、馬鹿にされているように感じていました。だから昔から、家は継がずに別の仕事をしようと考えていたんです。家業は兄に任せれば良いかな、と……」。
苦手だった故郷の気配に焦がれて
高校を卒業し、賑やかな実家での暮らしから逃げるように上京した永用さんは、持ち前の手先の器用さを生かしてヘアメイクの仕事に就きます。パリ・コレクションでも活躍したヘアメイクアップアーティスト・渡辺サブロオ氏のもと、たくさんの道具を携えてスタジオからスタジオへと赴き、モデルにヘアメイクを施しました。
業界でも有名な渡辺氏の師に就き、忙しくも充実した日々。しかし、「不思議なことに、あれほど嫌だった実家の音と香りを思い出さない日はありませんでした」。故郷を懐かしむ気持ちが膨らんだ頃、和歌山の家族から帰郷の打診を受けます。永用さんは悩みますが、最終的にはヘアメイクのキャリアを捨てて、家業を継ぐ決意をしました。
和菓子のファンを増やすべく、和菓子職人として再び東京へ
和歌山へと戻った永用さんは、お父さま、そして金沢で修行したお兄さまのもとで腕を磨きます。しかし、和菓子づくりに向き合う中で浮かんだ思いがありました。「人口減少が続く日本。和菓子を食べる口が減れば必然的に売れる和菓子も減るだろうと、この時はじめて危機感をおぼえました。そして、そのような状況下でもひたすらに技を極めてお店でお客様を待つ、和菓子職人としてのあり方に疑問を抱くようになりました」。
そんな時、海外からの学生やALS(外国語指導助手)に向けて、和菓子のワークショップを行う機会に恵まれます。自分で和菓子をつくり、口にした参加者の喜びようは想像以上でした。手応えを感じた永用さんは、今度は和菓子職人として再び東京に出ることを決めます。「和菓子の魅力をもっと多くの人に知ってもらおう。世界中の人々にこのおいしさ・美しさを知ってもらうことができれば、和菓子の需要が増え、和菓子職人の未来も明るくなるはず」。そう確信したのです。
実店舗を持たないからこそできること
実家での修業を終え、東京へと拠点を移した永用さんは、お店を構えないフリーランスの和菓子職人として活動を始めます。「お店でお客様を待つのではなく、自ら会いに行こう」と考え、実演やオーダー制の和菓子づくりに加え、お客様と共に和菓子をつくるワークショップの展開をスタート。
「お店だと、お菓子を売ったらお客様との関わりは途切れてしまいます。どのように召し上がったのか、おいしいと感じていただけたのか、少しでも和菓子について興味を持っていただけたのか、どれも分からないままです。ですがワークショップでなら、時間をかけて和菓子の魅力を直に伝えられ、出来たてを食べてもらえます」。色や香り、造形から季節の美しさを感じられるおいしい和菓子を提供したい、そう考え抜いた結果、取り扱うのは上生菓子のみに絞られました。
また、さらなる修行のために訪れた有名店で、熟練の職人と出会う幸運にも恵まれました。「新参者に厳しいこの業界で、70代の彼は持っている技術を余すことなく私に教えてくれました」。師匠のような存在から丁寧に手ほどきを受けたことで、技術力にいっそう自信がついたと話します。
ヘアメイク時代も現在も、道具を持ってあちこちに出向き、そこで出会う人の会話を大切にしているという永用さん。一般的な和菓子職人は黙々と和菓子づくりに集中するため、あまりお客様と会話をする機会がありません。しかし永用さんは和菓子の魅力を伝えるために、お客様と積極的にコミュニケーションを取ります。「ヘアメイク時代にたくさんのモデルやスタッフと出会い、交流した経験が今につながっている気がします」と笑います。
本物の和菓子のおいしさに触れてほしい
和菓子は出来たてが一番おいしいと語る永用さん。「餡は揉むほどに柔らかくおいしくなります。ただ、丹精込めて餡を揉んでも時間が経てばおいしさは半減。だからこそ、出来たてを提供でき、和菓子本来のおいしさを伝えられるワークショップは私にとって特別なんです」。実際、参加者は口を揃えて「こんなにおいしい和菓子ははじめて」と、その味わいに驚くのだそう。
現代では、端午の節句に柏餅を食べる風習さえ知らない子どもも増えています。「子どもたちにこそ、小さいうちから本物に触れてほしい」と、ワークショップには親子の参加も歓迎。近年は海外からのゲストも親子参加が増えているのだとか。今後は子どものための和菓子づくり講座の開催にも力を入れる方針です。
壮大な夢を胸に、世界へと広げる和菓子の魅力
「今、和菓子業界は危機的状況にある」と、あらためて語る永用さん。和菓子職人だけでなく、和菓子づくりに欠かせない道具を手がける職人も激減しています。だからこそ、道具や材料の説明も丁寧に。「使われる道具、食材、和菓子が出来上がる工程、すべてを実際に見て、知ってもらいたい。素材に触れて感触を体感してほしい。そして可能なら、自宅でも和菓子をつくり、味わう人が増えてほしい」。春のお彼岸にはぼたもちを用意する。お月見団子と共に中秋の名月を迎える。そんな「和菓子がそばにある暮らし」の復活につながることを願いながら、今日もどこかでワークショップは開かれます。
「私の計画は東京経由、海外行き。だから今はまだ道半ばなんです。もっと活動を広げて、和菓子の魅力と和菓子職人という仕事を世界中の人に認知してもらいたいと思っています」。100年後には、和菓子職人が世界で活躍できる存在になっていることが夢だと語る永用さん。遠く未来を見据えた壮大な挑戦が続きます。
「菓子司 百舟」主宰・永用昌也
和歌山県の和菓子店の三代目として、約20年和菓子作りに専心。「和菓子を通じてもっと世界とつながりたい」と一念発起し、東京へ。複数の有名和菓子店を経て、2022年に独立。ワークショップや茶会など新しい取り組みに挑戦している。
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