Otonami Story

2026.3.13

先人の技と思いを未来につなぐ。震災を乗り越え歩みを続ける輪島塗の物語。

田谷漆器店 代表 田谷昂大さん

能登半島北端に位置する石川県輪島市。国の重要無形文化財「輪島塗」は、このまちの豊かな風土を映す堅牢かつ優美な漆器です。ひとつの器が完成するまでに費やされる手数は、実に124工程。気の遠くなるような手間と時間をかけ、“漆器の最高峰”と称される美しさと品質が生み出されてきました。 

田谷漆器店は、熟練の職人たちを束ね、輪島塗の制作・販売を行う塗師屋。伝統を継承しながらも、現代の暮らしに合わせたプロダクト開発にも取り組むなど、輪島塗の魅力を積極的に発信してきました。

2024年の能登半島地震では産地全体が被災。代表の田谷昂大さんは「輪島塗の未来は、能登の未来」という信念のもと、復興への挑戦を続けています。輪島塗のこれまでと、これから。力強い歩みを綴る“Story”です。

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能登半島北端のまちで育まれてきた輪島塗

艶やかな光沢、奥行きのある色あい、ぬくもりのある手触り。日本を代表する漆器・輪島塗は、室町時代からおよそ500年にわたり受け継がれてきた石川県輪島市の伝統工芸品です。1977(昭和52)年には、全国初の国の重要無形文化財に指定されました。

輪島塗の特徴を語るとき“堅牢優美”という言葉が用いられる

輪島塗の堅牢さを支えているのが、独特の下地づくりです。輪島市だけで採掘される珪藻土「地の粉(じのこ)」を混ぜた漆を幾重にも重ねる下塗りや、椀の縁など傷みやすい部分を布で補強する「布着せ」。こうした丹念な手仕事が、優れた耐久性を生み出します。

地の粉は輪島漆器協同組合に登録したメーカーのみが使うことが許されている

仕上げ工程で漆の表面に蒔絵や沈金といった装飾が施されると、優美な趣が一気に開花。丈夫さと美しさを兼ね備えた輪島塗は、日々の食卓にも、ハレの日にも、人々の暮らしに寄り添ってきました。

木地づくりから下地づくりへ。各工程ごとにより良い状態にして次の職人へ渡す

木地づくりから下塗り・中塗り・上塗り・加飾までの全工程が、分業制で行われていることも輪島塗の特徴のひとつ。生産効率の向上だけではなく、専門工程に特化して技術を究められるというメリットがあります。職人による高度な技術のリレーが、漆器の最高峰と称される輪島塗の品質を築き上げてきたのです。

職人の手により3回に分けて行われる本型地技法

輪島塗をトータルプロデュースする塗師屋の仕事

田谷漆器店は、輪島塗の制作・販売を手がけてきた老舗。輪島塗産地で“塗師屋(ぬしや)”と呼ばれる役割を担っています。塗師屋とは、輪島塗の受注から企画・制作・販売までを手がける総合プロデューサーのこと。顧客のニーズを拾い、各工程の職人を取りまとめて商品に仕上げ、販路を開拓する。輪島塗の発展を支えてきた立役者でもあります。

沈金という加飾技法を用いてつくられた酒器揃え「月と菊」。田谷漆器店ならではのセンスが光る

代表の田谷昂大(たや たかひろ)さんは、塗師屋の役割を“お客さまと職人の橋渡し役”と話します。「お客さまの要望を、言語化して職人に伝える。職人が技術を最大限に生かせる場をつくる。それが塗師屋の大切な仕事なんです」。

東京の大学を卒業後、24歳で輪島に帰郷し田谷漆器店に入社した田谷さん

細分化された分業制のもとで職人集団をまとめ上げ、顧客の多様な要望に応えるのは容易ではないはず。塗師屋を担う上で心掛けていることについて問いかけると、「普段から各工程の職人さんのもとに出向いて、よく話すようにしています。無駄話の方が多いですけど」と笑う田谷さん。輪島塗産地では、こうした温度感のあるコミュニケーションが大切にされ、つくり手の思いが宿るものづくりが育まれてきました。

何代にもわたり修理しながら使い継ぐ。輪島塗の“直しもん”

輪島塗は、欠けたり傷が付いたりしても修理ができます。部分的に修復することも、全体を塗り直して新品のようによみがえらせることも可能。このように修理することを、輪島では“直しもん”と呼ぶのだそう。直しもん文化には「修理して大切に使う」だけではなく、「思いを継ぐ」意味もあると田谷さんは言います。

日常で使ってこそ磨かれ長持ちする輪島塗は修理も可能

田谷漆器店のもとには「祖母が大事にしていた器を使いたい」「代々伝わる重箱を直してもらえないか」など、様々な直しもんが持ち込まれます。どれも家族の暮らしや歴史が刻まれた思い出の品々ばかり。塗師屋を中心とした分業制が確立している産地だからこそ、修理して「思いを継ぐ」ことができる。直しもんは、田谷漆器店が大切にしている仕事のひとつです。

家族の歴史と思い出を刻み続ける輪島塗のある暮らし

また、家庭で使い継がれるもののほか、丈夫で美しい輪島塗の器や箸は、日常の食卓を彩る逸品としてギフトに選ばれることが多いのだそう。特に箸は「幸せの橋渡し」ともいわれ、日本では古くから、結婚祝いやお世話になった方への贈りものとして重宝されてきました。さらに近年では顔料の開発が進み、青や黄色などの色漆に使える色が増えギフトの選択肢が広がったといいます。

五角形乾漆箸「所作」は持ちやすくて転がりにくい、手仕事から生まれた箸の理想形

直しもんや贈りものの文化を通して世代を超えて受け継がれる器があるように、輪島塗の技術や、産地全体がひとつの工房のように機能する分業システムもまた、長い時間をかけて受け継がれてきました。しかし連綿と続いてきたその営みは、2024年1月に発生した能登半島地震によって大きな試練を迎えます。

輪島塗産地に甚大な被害をもたらした能登半島地震

震度7の揺れに見舞われた輪島市では、多くの建物が倒壊。田谷漆器店の事務所や工房も全壊し、輪島朝市のそばで建設中だったギャラリーは全焼しました。市内に工房を構える職人たちも同様に被災。輪島塗産地は再起不能にも思われ失意の底に沈んでいた田谷さんでしたが、時を経たずして産地復興を決意します。“塗師屋”としての思いを胸に、発災から半月後にはクラウドファンディングを立ち上げました。

クラウドファンディングで販売された拭漆シリーズの料理ベラ。輪島塗職人の道具から着想を得ている

いち早く復興のスタートを切れたのは「どんな状況にも対応できる、しなやかな会社を目指す意識が、社員や職人と共有できていたから」という田谷さん。コロナ禍で需要が激減した際にも、田谷漆器店は柔軟に事業の幅を広げ、つくり手が生き残る道を模索してきました。「その経験が、復興への助走になったのかもしれません」と振り返ります。

日頃からコミュニケーションを大切にする塗師屋としての経験が復興の第一歩に

田谷さんは、早々に進み始めた者の使命として、輪島塗産地のほか能登の他産業への貢献も視野に入れています。「きれいごとを言うつもりはありません。輪島塗の未来は明るいものではない。だけど私たちが輪島塗をつくり、お客さまに届け続けたその先は、少なくとも暗闇ではないはず。私たちの未来は、能登の未来でもあります」。田谷さんは未来のために、復興への歩みを決して止めないと言います。

輪島塗をきっかけに能登を訪れる人を増やしたい

2025年5月、田谷漆器店は事務所跡地に輪島塗の制作・販売拠点「WAJIMANURI VILLAGE(輪島塗ヴィレッジ)」をオープンしました。10数棟のトレーラーハウスを並べ、工房やギャラリーとして公開。多くの人が集う交流の場を目指しています。

宿泊施設も併設されたWAJIMANURI VILLAGE

田谷さんのねらいは、能登へ人を呼び込む仕掛けづくり。「昔は塗師屋が行商に出かけて、全国に輪島塗を売り歩いたんです。これからは逆に、輪島塗を求めて輪島に来てくれる人を増やしたいと思っています」。輪島塗をコンテンツとして交流人口を増やし、能登全域に恩恵を広げたいと、田谷さんは願っています。

これまでも、これからも。輪島塗は日本の暮らしとともに

未来への挑戦に奔走する中で、田谷さんは輪島塗の本質についてあらためて考えるようになったと言います。時代とともにデザインや商品ラインナップが変わる一方、強く惹かれるのは、なぜか古い時代の輪島塗。そこには、先人たちが編み出した洗練された技術、暮らしに根ざしたデザインの美がありました。「日本の漆器は、日本の文化そのもの。海外展開も進めていますが、漆器の魅力を本当に伝えたいのは日本のお客さまなんです」と田谷さんは話します。

500余年の時を超え受け継がれてきた輪島塗の技と美

輪島塗が“堅牢優美”を追求してきたのは、日本の暮らしに寄り添うためでした。汁椀の中で湯気を上げる味噌汁、日本酒をなみなみとたたえる盃、ごちそうをたっぷり詰め込んだ重箱。輪島塗を手にした時に、どこか懐かしいぬくもりを感じるのは、日本の風土に根ざした暮らしの感覚が呼び起こされるからかもしれません。輪島塗はこれからも、幾重にも漆を塗り重ねるように歴史を重ね、次の世代の暮らしにも寄り添い続けていくことでしょう。

暮らしに寄り添う輪島塗を未来へつなぐ

田谷漆器店

輪島塗の制作・販売を行う塗師屋。「この国の、美しい暮らしをつないでいく。」をコンセプトに、手仕事の美しさと使いやすさを兼ね備えた漆器を手がける。伝統的な輪島塗の技法を大切にしながら、現代の暮らしに寄り添う新しいものを提案。料亭や百貨店への販売のほか文化財の修復も行う。近年は海外への販売にも注力している。

MAP

石川県輪島市杉平町蝦夷穴55-6