
Otonami Story
2026.3.30
時代の流れに凛と寄り添う「日本刺繍」。ひと針、ひと針と紡ぐ、美意識の結晶。
日本刺繡露草 日本刺繍作家 三原佳子さん
艶やかな絹地に、色彩豊かに輝く絹糸で丹念に図柄を縫い上げる日本古来の装飾技法「日本刺繍」。その起源はおよそ1400~1500年前にまで遡り、時代の変遷に寄り添いながらその役割を柔軟に変化させてきました。職人たちの手仕事によって継承されてきたその美しさは、伝統工芸としての気品を現代に伝えています。
悠久の時を超えて伝わる技法を守りながらも、シックで洗練された、現代の暮らしになじむ日本刺繍を追求する、日本刺繍作家の三原佳子さん。三原さんはアトリエ兼ショールーム「日本刺繍露草」にて、日本刺繍に惹かれる多くの人に、その技術を惜しみなく伝え続けています。
長い歳月をかけて、伝統の灯を絶やすことなく紡がれてきた日本刺繍の意匠。その歴史と変遷、そして今を生きる日本刺繍作家の想いと、作品に秘められた“Story”を辿ります。
時代が育んだ「日本刺繍」の美意識の変遷
主に絹糸で織られた生地に、撚り(より)をかけた彩り豊かな絹糸で様々な図柄を施す日本古来の技法「日本刺繍」。その起源はおよそ1400〜1500年前、飛鳥・天平時代に仏教文化と共に伝来した繍仏(しゅうぶつ)にまで遡ります。ひと針に祈りを込めた信仰のための刺繍から、その役割は時代の流れに寄り添うように変化。室町時代には舞楽衣裳に取り入れられ、戦乱の世から太平の世に移り変わった安土桃山時代には、大名や貴族が好む豪奢な刺繍技法が次々と生まれました。

江戸時代になり、大名はもとより、武士・町人へと広まった刺繍は、小袖や婚礼衣装など日々の装いを彩る身近な装飾に。江戸繍、京繍、加賀繍に代表されるように全国へ広がった刺繍技術は、各地の風土や美意識を反映しながら独自の美しさを開花させました。どの時代にも共通するのは、卓越した技術によって生み出される艶と陰影、そして立体感。職人たちの圧倒的な手仕事によって創造された日本刺繍は、果てしない時を経て、日本を代表する伝統工芸へと成長しました。

「こうして変遷を辿ってみると、日本刺繍の歴史は“日本の歴史と共にある”と言っても過言ではありません」。そう語るのは、日本刺繍作家の三原佳子さんです。三原さんは東京・神楽坂にアトリエ兼ショールーム「日本刺繍露草」を構え、刺繍教室を主催しています。日本刺繍に魅了された人たちが次々と門を叩き、針と糸の手仕事の奥深さに触れています。

暮らしに寄り添う刺繍と着物の美しさに惹かれた幼少時代
日本刺繍は現代においても、着物や帯、劇場の緞帳などに施され、私たちの暮らしに華を添えています。ふたりのおばあさまが着物好きだったという三原さんにとっても、着物を通じて日本刺繍の美しさに触れる機会は多く、そう遠い存在ではありませんでした。

幼い頃から編み物やビーズなどの手芸が好きだったという三原さん。刺繍も例外ではなかったと振り返ります。「母は西洋刺繍が得意で、持ち物に名前やモチーフをよく刺繍してくれました。家庭科で習ってみたらとても楽しくて、1箇所で良いのに、勝手に5箇所も刺繍したランチョンマットを提出したことも」。幼少期に培った感性に導かれるように、高校卒業と同時にものづくりの道へ。女子美術短期大学服飾科 刺繍教室で、本格的に日本刺繍を学びました。

大学卒業後は百貨店の呉服売り場で働きながら、同時に刺繍作家 栗田敬子さんに師事。「着物だけでなく、様々な生地、素材について徹底的に学びました。気になる生地に出会えば購入し、自宅で刺繍を施してみる……。そんな試行錯誤の時期でした」。

偶然の出会いがもたらした「日本刺繡露草」の誕生
そんな折、着物ブランド「Maru Factory」の着物作家・丸山正さんとの偶然の出会いが、三原さんの日本刺繍作家としてのキャリアを切り拓くことになります。当時20代半ばだった三原さんが着物姿で偶然丸山さんの展覧会を通りがかり、声をかけられたのがきっかけです。日本刺繍への情熱を伝えた数ヶ月後には、丸山さんの着物に刺繍を施す仕事が始まりました。

着物の下絵染料として、古くから日本のものづくりを支えてきた植物「露草」。野にひっそりと咲く、特別すぎないけれど可憐なその佇まいと、花弁からつくられる「青花」が刺繍の最初の一歩を担うことに、自身の姿を重ねました。常にものづくりの原点を見つめ、真摯に向き合い続けたい。作家としての始動に際し、こんな決意を込めて、三原さんは「日本刺繍露草」という屋号を掲げます。

その後、20年以上にわたるMaru Factoryでの着物づくりを通じて、一見控えめな素材や色選びでも、纏う人の肌まで美しく見せる丸山さんの精選の力に刺激を受けます。その確かな審美眼に触れる日々の中で、三原さん自身の“好き”を研ぎ澄ませた独自の作品世界を確立させました。
厳選されたトーンとモダンなデザインが生み出す、都会的な日本刺繍
古来からの日本刺繍は、絹糸特有の光沢と鮮やかさ、緻密な技法の組み合わせによる陰影と立体感が特徴ですが、三原さんの作品は現代の感覚に寄り添うスタイリッシュで都会的な雰囲気。素材に使われる色数もシックなトーンに厳選され、古典的なモチーフであっても、そのデザインは装飾をそぎ落としたモダンな印象です。三原さんがデザインする作品から、着物に興味を持つ若い世代も増えています。

制作の中心に使用されるのは、Otonamiのプランでも習う「切嵌繍(きりばめぬい・土台の生地に切り取った別布を乗せて輪郭を刺繍したもの )」。ジュエリーデザイナー・村田朋子さんのシルバーアクセサリーにインスパイアされ、「シックな装いに映えるシルバーアクセサリーのようなデザインを刺繍で再現したい」という想いから、伝統的な技法を基に三原さんの好みに進化させたものだそう。

日本刺繍に多用される金銀糸もそのまま使用せずに鈍色に、箔色はアルミニウムや錫箔を擦ったり削ったりしてヴィンテージのような質感に変え、思い描く色糸がなければ、12本からなる絹糸を1本ずつ分けて色を混ぜてつくることも多いのだとか。

“自分自身が身に着けたいと思うもの、気持ちにそぐうものであること”をいつも心に留めてものづくりをしているという三原さん。柔らかい生地よりも生紬(かたい紬)や、自ら摺箔(すりはく・糊を置いた生地の上から金銀の箔を摺り付ける、日本の伝統的な染織技法)加工した箔布、しなやかな絹糸より、固く撚った糸や鈍(にび)に着色した銀糸など、無機質の中に凛とした気品を感じられる素材を好んで使用します。

「一般的な日本刺繍のイメージとは風合いが異なるため、『これが日本刺繍なの?』と驚かれることもありますが、学んできたことを自分なりに解釈し、再構築を積み重ねてきたからこそ、今の表現に辿り着けたのだと思っています」。好きなものしかつくらない、と言い切る三原さんの美学は、手がける作品それぞれに唯一無二の存在感を与えています。
そのひと針が日本刺繍の未来を紡ぐ
刺繍の世界では、工程が多く手間のかかる仕事を「手が重い」、反対に仕事量が少ないことを「手が軽い」と表現するのだそう。三原さんは職人たちの間で受け継がれるこの言葉を借りて、現代における日本刺繍への想いを語ります。「“手が重い”日本刺繍は、アートとして鑑賞するのは素晴らしい。けれど残念ながら、身に着けるものとしては、今の暮らしやこれからの時代に寄り添うものではないと感じています」。

日本刺繍を伝統工芸として守り続ける難しさを実感しながらも、刺繍教室で出会う人たちの熱意に触れるたび、これからの時代にふさわしい日本刺繍の姿に希望を見出しているとも話します。
効率やタイムパフォーマンスが重視される現代において、あえてその対極にある、針と糸でひと針、ひと針と紡ぐ時間。自らの意志で伝統に触れようとする人たちの姿に、文化を支え、つなぐ力を感じています。「手を動かしたいと思う人たちがいる限り、きっと、日本刺繍は継承されてゆきます」。三原さんはそう言って微笑みました。

日本刺繍作家・三原佳子 / 日本刺繍露草
女子美術短期大学で日本刺繍を専攻後、日本刺繍作家・栗田敬子氏に師事。着物作家・丸山正氏の着物制作に20年以上携わるなかで、伝統的な技法を用いながらもシックで都会的な独自の作風を確立。2011年にアトリエ兼ショールーム「日本刺繍露草」を開き、現在では作品はもとより、その着物姿や着物スタイリングにおいても多くのファンを持つ。
MAP
東京都新宿区横寺町31 神楽坂一水寮201